2021年04月30日 [色々なこと]
失われた黄金都市
お疲れ様です。院長です。
4月30日の金曜日でございます。
今日は平日ですよ。
ただの30日の金曜日。
昨日は祝日、明日からゴールデンウイークって感じで、日本中で気合が入らない人が続出してる日ではないでしょうか(笑)
ですが、当院は月末、月初にやるべきことが多く、何とか今日、明日で片づけないといけないので、それはそれは忙しいです。
まぁ、ゴールデンウイークという事ですが、今年もコロナがまん延中ですし、どっか旅行でも〜なんて感じじゃないしねぇ。
こういう時は、コロナが収束して、どこでも自由に行けるようになったら、どこに行こうか〜なんて考えるのも楽しいもんですよ。
てことで、今日もネタに突入ですが、死ぬまでに一回は行ってみたい国ということで、今日はエジプトのお話しです。
エジプトと言えば、ピラミッドだの、スフィンクスだの、古代遺産の宝庫で、是非一度は生で見てみたいとお思いの方も多いでしょう。
そしてこのエジプトという国、いまだ新しい発見があるようなんですね。
エジプト、ルクソールの北側で、「失われた黄金都市」と呼ばれる3400年前の古代都市が発掘されたそうなんです。
ワインボトルの粘土製の蓋には、第18王朝のファラオ、アメンホテプ3世(在位 紀元前1386〜前1353年)を表す象形文字が刻まれていたとのことで、その治世は概ね安定しており、古代エジプトの力が国際的にも最高潮に達していた時代だそうです。
つまり、エジプト文明の黄金期にあたるわけで、遺跡からはさまざまな遺物が発見されており、装飾品・家具・陶器といった品物の生産に特化していた可能性がうかがえるそうです。
発掘現場は、「メディネト・ハブ」(ラムセス3世の葬祭殿)と「メムノンの巨像」(アメンホテプ3世の葬祭殿)に挟まれた区域にあるそうです。
この辺りでは、第18王朝の最後を飾った2人のファラオ、アイとその次の王ホルエムヘブの葬祭殿が発見されている場所だそうです。
そのためエジプトの考古学チームを率いたザヒ・ハワス博士らの狙いは、ツタンカーメンの葬祭殿を発掘することだったようです。
昨年9月に発掘が開始されてから数週間で泥のレンガが発見され、それは高さ2.7メートルあるジグザグの壁だったそうです。
まさにそれは、ルクソールの「失われた黄金都市」であることが判明。
偶然が生んだ貴重な発見となったわけです。
ツタンカーメンの墓に次ぐと言われるほどの貴重な発見となった失われた黄金都市の遺跡からは、指輪・スカラベ・陶器・無数の石像の破片・道具(おそらくは紡績や織物に使われたもの)・鋳型といった数々の遺物が発掘されています。
南部では、かなりの人数が作業できるだけの広さがあるキッチンのような場所も見つかったそうです。
そこには、かまどと貯蔵用の陶器が置かれており、パンを焼いていたらし形跡が残っていたそうです。
日干しレンガの製造所や管理施設らしきものも発見されました。
ウシの骨や人骨が発見された区画もあるそうで、その人骨は、腕を体の横にまっすぐ伸ばし、奇妙なことに膝にはロープが巻かれていたそうです。
1889年に王家の谷で発掘されたミイラの分析から、黄金の都を統治したアメンホテプ3世は、40代か50代で亡くなり、晩年は関節炎や肥満、歯の膿瘍といった病気で苦しんだだろうことが推測されています。
長男トトメスが夭逝していたため、王位は次男アメンホテプ4世が継承しました。
彼は「アマルナ改革」を遂行したファラオとして知られています。
なお王妃は古代エジプト三大美女のネフェルティティ。
で、この夫婦の次男こそが、あのツタンカーメンなんですね。
有名どころが出てきたので、何となく今回の黄金都市の凄さが伝わるんじゃないでしょうかね。
古代エジプトでは当時、太陽神「アメン」を中心とする多神教が広く信仰されていました。
しかしアメンホテプ4世はこれを認めず、同じく太陽神である「アテン」のみを信仰する一神教を興したのです。
アメンにちなむ名から、アメンホテプ4世はアテンにちなむ「アクエンアテン」に改名し、さらに首都をテーベからアマルナ(当時のアケトアテン)へ遷都したのもそのためです。
こうした改革が行われたのは、アメン教の神官たちがファラオを脅かすほどの権勢を振るっていたことが背景にあると考えられています。
今回の調査からは、そうした当時の政治状況をひも解くヒントが得られるかもしれないとのことですから、大発見なんでしょうね。
なお遺跡の北にある大きな墓地からは、まだ手付かずの財宝が残されていそうな岩を切って作られた墓が発見されているそうですから、これからの調査が楽しみですな。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
4月30日の金曜日でございます。
今日は平日ですよ。
ただの30日の金曜日。
昨日は祝日、明日からゴールデンウイークって感じで、日本中で気合が入らない人が続出してる日ではないでしょうか(笑)
ですが、当院は月末、月初にやるべきことが多く、何とか今日、明日で片づけないといけないので、それはそれは忙しいです。
まぁ、ゴールデンウイークという事ですが、今年もコロナがまん延中ですし、どっか旅行でも〜なんて感じじゃないしねぇ。
こういう時は、コロナが収束して、どこでも自由に行けるようになったら、どこに行こうか〜なんて考えるのも楽しいもんですよ。
てことで、今日もネタに突入ですが、死ぬまでに一回は行ってみたい国ということで、今日はエジプトのお話しです。
エジプトと言えば、ピラミッドだの、スフィンクスだの、古代遺産の宝庫で、是非一度は生で見てみたいとお思いの方も多いでしょう。
そしてこのエジプトという国、いまだ新しい発見があるようなんですね。
エジプト、ルクソールの北側で、「失われた黄金都市」と呼ばれる3400年前の古代都市が発掘されたそうなんです。
ワインボトルの粘土製の蓋には、第18王朝のファラオ、アメンホテプ3世(在位 紀元前1386〜前1353年)を表す象形文字が刻まれていたとのことで、その治世は概ね安定しており、古代エジプトの力が国際的にも最高潮に達していた時代だそうです。
つまり、エジプト文明の黄金期にあたるわけで、遺跡からはさまざまな遺物が発見されており、装飾品・家具・陶器といった品物の生産に特化していた可能性がうかがえるそうです。
発掘現場は、「メディネト・ハブ」(ラムセス3世の葬祭殿)と「メムノンの巨像」(アメンホテプ3世の葬祭殿)に挟まれた区域にあるそうです。
この辺りでは、第18王朝の最後を飾った2人のファラオ、アイとその次の王ホルエムヘブの葬祭殿が発見されている場所だそうです。
そのためエジプトの考古学チームを率いたザヒ・ハワス博士らの狙いは、ツタンカーメンの葬祭殿を発掘することだったようです。
昨年9月に発掘が開始されてから数週間で泥のレンガが発見され、それは高さ2.7メートルあるジグザグの壁だったそうです。
まさにそれは、ルクソールの「失われた黄金都市」であることが判明。
偶然が生んだ貴重な発見となったわけです。
ツタンカーメンの墓に次ぐと言われるほどの貴重な発見となった失われた黄金都市の遺跡からは、指輪・スカラベ・陶器・無数の石像の破片・道具(おそらくは紡績や織物に使われたもの)・鋳型といった数々の遺物が発掘されています。
南部では、かなりの人数が作業できるだけの広さがあるキッチンのような場所も見つかったそうです。
そこには、かまどと貯蔵用の陶器が置かれており、パンを焼いていたらし形跡が残っていたそうです。
日干しレンガの製造所や管理施設らしきものも発見されました。
ウシの骨や人骨が発見された区画もあるそうで、その人骨は、腕を体の横にまっすぐ伸ばし、奇妙なことに膝にはロープが巻かれていたそうです。
1889年に王家の谷で発掘されたミイラの分析から、黄金の都を統治したアメンホテプ3世は、40代か50代で亡くなり、晩年は関節炎や肥満、歯の膿瘍といった病気で苦しんだだろうことが推測されています。
長男トトメスが夭逝していたため、王位は次男アメンホテプ4世が継承しました。
彼は「アマルナ改革」を遂行したファラオとして知られています。
なお王妃は古代エジプト三大美女のネフェルティティ。
で、この夫婦の次男こそが、あのツタンカーメンなんですね。
有名どころが出てきたので、何となく今回の黄金都市の凄さが伝わるんじゃないでしょうかね。
古代エジプトでは当時、太陽神「アメン」を中心とする多神教が広く信仰されていました。
しかしアメンホテプ4世はこれを認めず、同じく太陽神である「アテン」のみを信仰する一神教を興したのです。
アメンにちなむ名から、アメンホテプ4世はアテンにちなむ「アクエンアテン」に改名し、さらに首都をテーベからアマルナ(当時のアケトアテン)へ遷都したのもそのためです。
こうした改革が行われたのは、アメン教の神官たちがファラオを脅かすほどの権勢を振るっていたことが背景にあると考えられています。
今回の調査からは、そうした当時の政治状況をひも解くヒントが得られるかもしれないとのことですから、大発見なんでしょうね。
なお遺跡の北にある大きな墓地からは、まだ手付かずの財宝が残されていそうな岩を切って作られた墓が発見されているそうですから、これからの調査が楽しみですな。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院