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2020年08月14日 [色々なこと]

お盆怪奇スペシャル「世界一呪われた絵 デルフィーン・ラローリーの肖像画」

お疲れ様です。院長です。

8月14日の金曜日でございます

お盆でございますな。

当院も、13日〜16日までお盆休みでございます。

今年は毎日のように書いてますが、コロナの影響で大人しめのお盆休みになりそうですが、みなさん帰省とかはされるんでしょうかね。

あまり感染者数の多くない都道府県なら、都心から帰省しちゃうのもなんだか気が引けますよね〜。

ずっと感染者ゼロだった岩手県も、ついに感染者出てますし、もちろんこれも他府県から帰ってこられた方が感染源となっております。

そんな背景もあり、今年はみなさん帰省は我慢ですかね。

わたくし院長、生まれも育ちもずっと京都で、このまま出る気もさらさらないので、帰省ってのはしたことないですが、まぁ、今年は帰省しないって人も多いでしょうね。

ま、近場で家族とのんびりってのが一番なんじゃないですかね。

政府はキャンペーンとか言うてますけど、観光地によったら「来ないでよ」って空気だしてるトコもありますしね。

そんなお盆ですが、毎年お盆にこのブログでは、「お盆怪奇スペシャル」ってのを、やってたんですよね。

2016年からですから、今年で5回目なんですよ。

で、毎年、2〜3話の怪奇な出来事を、第一弾、第二弾とかいうて調子のいい年だと第三弾までやったりしてたんですが…

さすがにネタが切れますな(笑)

ですが、ここまで続けてきてることですし、やらないってのもどうかと思うんで、今年からは一話のみとさせていただく。

で、ほんとは、15日にやりたかったんですが、15日が土曜日なもんで、今年はこの14日にお盆怪奇スペシャルお送りします。

今年のネタは、「世界一呪われた絵 デルフィーン・ラローリーの肖像画」についてお話ししたいと思います。

呪われた絵ってのも、過去、何作かやってんですけどね(笑)

ですが、今年のは「世界一」ですからね。

このデルフィーン・ラローリーの肖像画は、世界一呪われた絵と言われています。

数々の恐ろしい超常現象を引き起こし、現在の持ち主は、人々に災いが及ばぬよう、誰にも知られていない場所にこの絵を隠しているとされています。

この絵には悪魔が宿り、昔、奴隷を虐待した女主人デルフィーン・ラローリーを再現していると言われているもので、この肖像画を見た者は、なにか陰鬱なものに圧倒され、胸が締めつけられ、どうにも耐え難い毒をもった不安に苛まれるそうです。

では、この肖像画の女性、マダム・デルフィーン・ラローリーですが、どんな人物かと言いますと、19世紀初頭、アメリカ・ニューオリンズ社交界でその名を知られていた裕福な貴族で、贅沢で退廃的な生活にふけっていたそうです。

当時、有名だった貴族を招いて、パーティ三昧だったんだとか…。

1834年のある日、ラローリーの屋敷のキッチンから火の手があがりました。

急激に火がまわるのを目撃した者が勇敢にも屋敷の中に飛び込んで、取り残された人たちを救おうとしました。

当時、ラローリーは多くの奴隷を抱えていて、なんの罪もない彼らを家の中に閉じこめてないがしろにしていると噂されていました。

救助に向かった者が問題の部屋に突入すると、信じられない光景が目に飛び込んできたんだそうです。

そこは、奴隷の拷問部屋で、現代のホラー映画など手ぬるく感じられるほどの凄惨な状態だったそうで、7人の奴隷たちが残虐に切り刻まれ、床の穴からは、腐敗した遺体が突き出ていたんだそうです。

天井から吊るされた者は皮を剥され、彼らの引きちぎられた手足が、グロテスクに散らばっているってなおよそこの世のものとは思えない光景だったそうです。

生きていた奴隷たちも、とても人間だったとは思えない姿になっていました。

多くは鉄の杭がついた首枷をはめられていて、ほとんど頭を動かすこともできない痛ましい姿で、背中を何度も鞭打たれてひどい傷が盛り上がり、骨が見えてしまっている者もいたそうです。

「このようなおぞましく残酷な場面を適切に表現するには、言葉はあまりにも無力で不十分だ」目撃者のひとりが言った言葉だそうです。

のちに判明したことですが、この火事は意図的な放火だったそうなんです。

これ以上、ラローリーの残虐な拷問に苦しめられるくらいなら、すべて燃やし尽くしてしまったほうがましだと思った、この家のコックが火をつけたものでした。

焼け死ぬほうがましだと思うほどの、想像を絶する凄惨な状況だったに違いないですな。

ラローリーは、ニューオリンズの上流階級では、優雅で知性的な女性として有名でした。

その高貴な仮面の下には、残虐極まりない奴隷所有者の本性が隠されていたわけなんです。

近所でも、彼女の奴隷たちの様子がおかしいことに薄々気がついていて、地元の弁護士が、奴隷を不当に扱っている証拠が見つかれば、ただちに彼らを没収して州で再び売り飛ばすと、ラローリーに警告していたそうです。

ですが、ラローリーの邪悪な楽しみは留まるところを知らず、ラローリーが敷地内でまだ幼い少女を鞭で追い回し、屋根まで追い詰めていたのが目撃されていました。

その後、近所の者は、少女の遺体が庭の隅の浅い穴の中に埋められているのを見たそうです。

少女は屋根から落ちて死んだのか、ラローリーの拷問に耐え切れず、自ら飛び降りたのかもしれません。

まるでホラー映画の世界のようですが、これは実際に起こったことで、100年以上たった後でも、この屋敷跡からは頭蓋骨や骨が見つかるんだそうです。

ラローリーにとっては、自分の所有物である奴隷たちを激しく痛めつけたり切り刻むことは、ごく普通のことだったのかもしれません。

火事の後、自分の残虐行為を突きつけられても、ラローリーには悪いことをしたという意識はまるでなかったそうです。

まもなく、ラローリーは怒った群集に町を追い出され、フランスヘ逃げました。

どうして、ニューオリンズの人たちが、自分にはむかったのか、最後まで理解できなかったそうです。

彼女の屋敷は群衆に破壊され、その名は残虐性や邪悪なふるまいの象徴となりました。

ラローリーは、そのままフランスで静かな隠遁生活を送り、人権に反する非道な犯罪の裁きを受けることもなく、1842年に62歳で死んだそうです。

そしてラローリーの屋敷はその後何度か持ち主が変わり、長い年月がたった1970年代には、アパートに改装されました。

1997年、このアパートの持ち主が、ラローリーの肖像画を依頼しました。

なぜ、そんなことをしたのか、彼女のおぞましい所業を知ってのことだったのかどうかは、定かではありません。

しかし、肖像画が完成し、それを飾ったとき、なにが起こったか…。

この絵ををひと目見ただけで、体に異常をきたす人が続出したんだそうです。

ラローリーのことを知っていても、知らなくてもそれは変わらなかったんだとか…。

この肖像画が壁にかけられると、アパート内で幽霊が頻繁に目撃されるようになり、影のような存在が廊下や、テナントそれぞれの部屋の中を歩いているのを見たと。

とりわけ、肖像画がかけられてから幽霊がよく出没するようになったため、これは、マダム・ラローリーの幽霊ではないかと囁かれました。

悪魔だと言う者、ラローリーに拷問され殺された奴隷たちの霊だと言う者もいますし、幽霊を見るだけでなく、超常現象も起こったそうです。

肖像画がひとりでに動き、激しい音をたてて床に落ちる、見る者の心に鋭く入り込んでくる、どこからともなく声が聞こえてくる、冷たい手で触られる、ひとりでに物が動く、暗闇で名前をささやかれる、廊下を行ったり来たりする不気味な足音が聞こえるーなどなど…。

肖像画を描いた画家は、絵をあんなに暗くするつもりはなかったし、描いている間に超常現象はとくに起こらなかったといいます。

現在、この肖像画は厳重に保管され、誰も見ることはできないようになっているそうです。

所有者は謎に包まれていて、追跡することはできません。

ですが、この稀代の狂女マダム・デルフィーン・ラローリーの話を語ることは大切なことです。

彼女に拷問されて殺された、罪もない人々のことを忘れてはならないのですから…。

いかがでしたか。

彼女の生きた1800年代は奴隷が売買されていたという背景はありますが、にしても彼女の行為は常軌を逸していますよね。

では、ここまで読んで下さった方に、その肖像画をご覧いただきましょう。

もし、何かあっても自己責任でね(笑)

ではまた〜。


020814



京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院


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