2019年07月11日 [色々なこと]
円形デッドボール→ドッジボール。
お疲れ様です。院長です。
7月11日の木曜日でございます。
7月も中盤戦に突入で、ボチボチ京都の街は祇園祭感が出てまいりました。
メインの「山鉾巡行」が17日ですから、14日宵々々山、15日宵々山、16日宵山あたりは、京都の中心街は人でごった返すでしょう。
ほんと、大げさでなく世界中から人が集まる週間ですから、地元民は出来るだけひっそりと大人しくしていましょう。
そんな祭り前のワクワク感、わたくし院長は子供の頃から大好きでしたねぇ。
わたくしの子供の頃は、大体7月の24日とか25日から、9月1日まで「夏休み」でした。
最近じゃ、8月途中から始まるみたいですけど、昔は8月はまるまる夏休みでしたよね。
ですから、祇園祭から、1週間ほどで夏休みになるわけで、クリスマス前と、この時期は特別好きでしたねぇ。
今は夏休みっても、ねぇ…。
あの頃が懐かしいですなぁ…。
そんな子供時代を振り返りながら、今日は子供特有のお話でもしてみたいと思います。
今の子供たちは知りませんが、我々世代では「ドッジボール」って遊びをみんなやってましたよね。
一応、球技としてのドッジもあるんですが、ここではいわゆる子供の遊びの「ドッジボール」です。
今日は、その「ドッジボール」が子供たちに悪影響を与え、非人道的にしてしまう可能性があるっていうカナダの研究のお話でもしてみようかと思います。
ドッジボール…
懐かしいですなぁ。
最近の子はしないかもしれませんけど、当時は一番人気の遊びだった気がします。
何人でも、男女問わず出来ますしね。
で、このドッジの何が悪影響をあたえるかってことなんですが、このドッジボール、子供の遊びのヤツでは、様々なローカルルールはあるでしょうけど、基本的に敵チームの身体にボールを当ててその勝敗を競う遊びですわな。
そうなると当然、ちょっとどんくさめで、のろまなタイプの子は真っ先に狙われて、運動能力の高い、ガキ大将タイプに思いっきりボールをぶつけられるという図式が成り立ちます。
これにカナダの研究によると、ドッジボールは子供に特定の条件下なら「他人を攻撃しても良い」という認識を植え込み、 非人道的にしてしまうということのようなんです。
んん〜…
言わんとしてることは分からんでもないが…
スポーツ(あそび)やしねぇ…
カナダ・ブリティッシュコロンビア大学の教育学博士、ジョイ・バトラー率いる研究チームは、体育の授業でドッジボールをプレイしたことのある中学生を対象に調査を行ないました。
その調査結果を、政治哲学者のアイリス・マリオン・ヤング氏が提唱する、「相互行為の構造上の5つの抑圧プロセス」なるものに照らし合わせて分析を試みました。
抑圧は自我の基本的な防衛機制をいい、容認しがたい観念や記憶を意識から追い出し、無意識領域のなかに閉じ込めようとするものってちょっと難しい言回しですが、普通に読み進めて下されば何となく理解できますから大丈夫(笑)
では、5つの抑圧プロセスとは、「搾取(人を利用する)」、「周縁化(人の地位を奪う)」、「無力化(人の自立性を奪う)」、「文化帝国主義(支配体制を築く)」、「暴力(攻撃)」の5つなんだとか。
ドッジボールをプレイした後のヒアリング調査から、子供たちの行為はこの5つの抑圧プロセスとかなりの部分で一致していたということなんです。
…なんでも難しく考えはるよねぇ(笑)
プレイ中、力の弱い女子たちは怯えて逃げ回りますし、逃げ遅れた生徒にパワフルなボールをあてる強い子がいて、その強い子はグループを組み、特定の生徒を集中して狙っていたと…。
そしてグループ以外の生徒を次々と排除していくわけですね。
って、こんな書き方したらスッゴイ悪い事みたいに聞こえますが、そういうルールやしね(笑)
ですが、この教授はこういう風に言うてます。
「例えそれがやわらかくて痛くないボールを使おうと、他の生徒をボールで叩いても良いという条件を教師が容認してしまうと、生徒の心には何かしらの思惑が芽生えてしまうのだと…。
教師が生徒に集団で攻撃しても良いという許可を出すわけで、ここから生徒はどんな事を学ぶでしょうか?
人によってはドッジボールが攻撃性とカタルシスを促すという人もいます。
本来は攻撃性や怒りをコントロールすることを覚えさせるための体育という授業が、ドッジボールでは真逆の事を教えているのです。
運動が得意な子供にとってはドッジボールはエネルギーを発散させる為のよい機会となりうるかもしれない。
ですが、そうでない子どもにとっては我慢を強いられているだけであり、運動が苦手な生徒にとっては拷問のような苦痛を味わうことになるかもしれません。
それが教師公認の元に行われているのだと…。」
あー
考えすぎやろ(笑)
それがスポーツ(遊び)であり、ルールがあるってことが伝わればいいんでないのかねぇ…。
確かに、運動が苦手でどんくさい子にとっては苦痛なのかもしれませんが、それならもう体育なんて授業、やめればいいやんってなりますしね。
身体鍛える意思があるなら、個々にやりゃ〜いいんやし、身体動かしたくないならジッとしてりゃいいんやしね。
体育の授業なんて、そういうことじゃなく、たとえばドッジボールっつっても、チームワークが学べたりするでしょ?
どんくさい子でも、どちらかのチームに属するわけで、そのチーム内で戦術が組まれたりするわけですし、少なくとも仲間意識とかは学べる気がしますけどねぇ…。
悪い側面が多いものほど、反面良い事もたくさんある気がしますが、最近じゃこういうのも排除しようって動きなんですねぇ…。
なんか、子供がドンドン弱っちくなってく気もするんですが、それも時代なのかもね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
7月11日の木曜日でございます。
7月も中盤戦に突入で、ボチボチ京都の街は祇園祭感が出てまいりました。
メインの「山鉾巡行」が17日ですから、14日宵々々山、15日宵々山、16日宵山あたりは、京都の中心街は人でごった返すでしょう。
ほんと、大げさでなく世界中から人が集まる週間ですから、地元民は出来るだけひっそりと大人しくしていましょう。
そんな祭り前のワクワク感、わたくし院長は子供の頃から大好きでしたねぇ。
わたくしの子供の頃は、大体7月の24日とか25日から、9月1日まで「夏休み」でした。
最近じゃ、8月途中から始まるみたいですけど、昔は8月はまるまる夏休みでしたよね。
ですから、祇園祭から、1週間ほどで夏休みになるわけで、クリスマス前と、この時期は特別好きでしたねぇ。
今は夏休みっても、ねぇ…。
あの頃が懐かしいですなぁ…。
そんな子供時代を振り返りながら、今日は子供特有のお話でもしてみたいと思います。
今の子供たちは知りませんが、我々世代では「ドッジボール」って遊びをみんなやってましたよね。
一応、球技としてのドッジもあるんですが、ここではいわゆる子供の遊びの「ドッジボール」です。
今日は、その「ドッジボール」が子供たちに悪影響を与え、非人道的にしてしまう可能性があるっていうカナダの研究のお話でもしてみようかと思います。
ドッジボール…
懐かしいですなぁ。
最近の子はしないかもしれませんけど、当時は一番人気の遊びだった気がします。
何人でも、男女問わず出来ますしね。
で、このドッジの何が悪影響をあたえるかってことなんですが、このドッジボール、子供の遊びのヤツでは、様々なローカルルールはあるでしょうけど、基本的に敵チームの身体にボールを当ててその勝敗を競う遊びですわな。
そうなると当然、ちょっとどんくさめで、のろまなタイプの子は真っ先に狙われて、運動能力の高い、ガキ大将タイプに思いっきりボールをぶつけられるという図式が成り立ちます。
これにカナダの研究によると、ドッジボールは子供に特定の条件下なら「他人を攻撃しても良い」という認識を植え込み、 非人道的にしてしまうということのようなんです。
んん〜…
言わんとしてることは分からんでもないが…
スポーツ(あそび)やしねぇ…
カナダ・ブリティッシュコロンビア大学の教育学博士、ジョイ・バトラー率いる研究チームは、体育の授業でドッジボールをプレイしたことのある中学生を対象に調査を行ないました。
その調査結果を、政治哲学者のアイリス・マリオン・ヤング氏が提唱する、「相互行為の構造上の5つの抑圧プロセス」なるものに照らし合わせて分析を試みました。
抑圧は自我の基本的な防衛機制をいい、容認しがたい観念や記憶を意識から追い出し、無意識領域のなかに閉じ込めようとするものってちょっと難しい言回しですが、普通に読み進めて下されば何となく理解できますから大丈夫(笑)
では、5つの抑圧プロセスとは、「搾取(人を利用する)」、「周縁化(人の地位を奪う)」、「無力化(人の自立性を奪う)」、「文化帝国主義(支配体制を築く)」、「暴力(攻撃)」の5つなんだとか。
ドッジボールをプレイした後のヒアリング調査から、子供たちの行為はこの5つの抑圧プロセスとかなりの部分で一致していたということなんです。
…なんでも難しく考えはるよねぇ(笑)
プレイ中、力の弱い女子たちは怯えて逃げ回りますし、逃げ遅れた生徒にパワフルなボールをあてる強い子がいて、その強い子はグループを組み、特定の生徒を集中して狙っていたと…。
そしてグループ以外の生徒を次々と排除していくわけですね。
って、こんな書き方したらスッゴイ悪い事みたいに聞こえますが、そういうルールやしね(笑)
ですが、この教授はこういう風に言うてます。
「例えそれがやわらかくて痛くないボールを使おうと、他の生徒をボールで叩いても良いという条件を教師が容認してしまうと、生徒の心には何かしらの思惑が芽生えてしまうのだと…。
教師が生徒に集団で攻撃しても良いという許可を出すわけで、ここから生徒はどんな事を学ぶでしょうか?
人によってはドッジボールが攻撃性とカタルシスを促すという人もいます。
本来は攻撃性や怒りをコントロールすることを覚えさせるための体育という授業が、ドッジボールでは真逆の事を教えているのです。
運動が得意な子供にとってはドッジボールはエネルギーを発散させる為のよい機会となりうるかもしれない。
ですが、そうでない子どもにとっては我慢を強いられているだけであり、運動が苦手な生徒にとっては拷問のような苦痛を味わうことになるかもしれません。
それが教師公認の元に行われているのだと…。」
あー
考えすぎやろ(笑)
それがスポーツ(遊び)であり、ルールがあるってことが伝わればいいんでないのかねぇ…。
確かに、運動が苦手でどんくさい子にとっては苦痛なのかもしれませんが、それならもう体育なんて授業、やめればいいやんってなりますしね。
身体鍛える意思があるなら、個々にやりゃ〜いいんやし、身体動かしたくないならジッとしてりゃいいんやしね。
体育の授業なんて、そういうことじゃなく、たとえばドッジボールっつっても、チームワークが学べたりするでしょ?
どんくさい子でも、どちらかのチームに属するわけで、そのチーム内で戦術が組まれたりするわけですし、少なくとも仲間意識とかは学べる気がしますけどねぇ…。
悪い側面が多いものほど、反面良い事もたくさんある気がしますが、最近じゃこういうのも排除しようって動きなんですねぇ…。
なんか、子供がドンドン弱っちくなってく気もするんですが、それも時代なのかもね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院