思い込みと誤作動
2024年11月22日 [からだのこと]
お疲れ様です。院長です。
11月22日の金曜日でございます。
そう、今日はいい夫婦の日でございますね。
では元気にネタいきましょう。
人は、意見の対立が起きた際に自分の方が絶対に正しいと確信することが多いですが、それは果たし本当なのでしょうか?
新たな研究によると、人は実際には全体の一部しか把握していないにもかかわらず、自分は決断を下すのに十分な情報を持っていると思い込んでしまう傾向があるそうなんです。
この「自分は十分な情報を持っている」という誤解こそが、誤った結論に至る原因となっており、十分な情報を得ていない人ほど自信過剰になる傾向があるそうです。
今回の研究は、なぜ多くの人が誤解を抱えたまま自信を持つのか、その背後にあるメカニズムを解明しています。
米国オハイオ州立大学のアンガス・フレッチャー氏らは、次のようなオンライン実験を行いました。
まず、1261人のアメリカ人を3つのグループに分けました。
各グループに水不足で困っている架空の学校に関する記事を読んでもらいました。
ただしその内容はグループごとに少々異なっています。
1つ目のグループが読んだ記事には、「十分な水がある他の学校と合併すべきである理由」のみが書かれていました。
2つ目のグループの記事には、「他の学校との合併には反対で、それとは別の対策が望ましい理由」のみが書かれていました。
3つ目のグループの記事は、合併に賛成する理由と反対する理由、そのどちらも書かれていました。
これらの記事を読んでもらったうえで、学校がどうするべきか正しく判断できると思うかどうか、参加者に答えてもらいます。
すると「十分な情報があり、正しく判断できる」と回答したのは、合併の賛否に関わらず、意見の半分だけを読んだ1と2のグループだったそうなんです。
しかもそのほとんどが、読んだ記事の意見の通りにするべきだと考えていたそうです。
情報が半分しかない参加者は、完全な情報を持つ参加者より、合併の是非について自信を抱いてしまったわけです。
参加者たちは、本当は情報の半分しか読んでいないのに、必要な情報をすべて知っていると思い込んでしまったようなんですね。
フレッチャー氏らは、こうした傾向を「情報十分性の錯覚」と呼んでいるそうです。
この錯覚にハマった人たちは、すべての情報を持っていないというのに、自分の決断は正しいと自信を持つわけです。
しかも、ほかの人たちもほとんどが自分と同じ決断をするだろうと思い込んでいたといいますから、ややこしい。
自分の正しさを信じて、例え誤りを指摘されても信じようとせず、同じ意見を持つ者だけしか受け入れない人たちがいるのは、こうした人間の傾向が1つの要因なのかもしれないという話です。
この研究で1つ前向きになれる発見は、このように勘違いしがちな人たちも、後からまた別の記事を読むと、それまでの意見を普通に変えてくれたということです。
それまでの乏しい情報に基づく判断に固執したりはしなかったそうなんです。
ただし、このことはイデオロギーに関連する話題では当てはまらないかもしれないと考えられるそうです。
イデオロギーとは、人間の行動を左右する根本的な思想や概念形態のことで、個人や集団がどのように世界を理解し、どんな行動を取るべきかを決める際の基盤となる信念のことです。
こうした話題になると、新しい情報や統計や研究に基づいた正しい情報が与えらえても、人はそれを素直に信頼しようとはしないそうです。
ですが、ほとんどの議論はイデオロギーに関するものではないのだから、話し合いでわかりあう余地は十分にあるだろうと、フレッチャー氏は述べています。
自分の理解は主観的なものでしかないのに、客観的な理解であると誤解しがちな傾向のことを「素朴実在論(そぼくじつざいろん)」というそうです。
「情報十分性の錯覚」もこれに関係する話です。
ですが今回の研究は、錯覚しやすい私たちであっても、十分な情報を与えられれば、きちんと同じ理解を共有できることを示しています(一方で、私たちは意見が食い違う人のことをほとんど理解していないという研究もあります)。
だから今度誰かと口論になるようなことがあれば、まずは冷静になって、話し合ってみるといいでしょう。
きっとお互いに知らない事情があるはずで、それがわかった時、ずっと冴えた解決策が見つかるはずです。
まぁ、この思い込みって誰にでもありますしねぇ…。
今日の話は、知っておいて損はないな(笑)
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
11月22日の金曜日でございます。
そう、今日はいい夫婦の日でございますね。
では元気にネタいきましょう。
人は、意見の対立が起きた際に自分の方が絶対に正しいと確信することが多いですが、それは果たし本当なのでしょうか?
新たな研究によると、人は実際には全体の一部しか把握していないにもかかわらず、自分は決断を下すのに十分な情報を持っていると思い込んでしまう傾向があるそうなんです。
この「自分は十分な情報を持っている」という誤解こそが、誤った結論に至る原因となっており、十分な情報を得ていない人ほど自信過剰になる傾向があるそうです。
今回の研究は、なぜ多くの人が誤解を抱えたまま自信を持つのか、その背後にあるメカニズムを解明しています。
米国オハイオ州立大学のアンガス・フレッチャー氏らは、次のようなオンライン実験を行いました。
まず、1261人のアメリカ人を3つのグループに分けました。
各グループに水不足で困っている架空の学校に関する記事を読んでもらいました。
ただしその内容はグループごとに少々異なっています。
1つ目のグループが読んだ記事には、「十分な水がある他の学校と合併すべきである理由」のみが書かれていました。
2つ目のグループの記事には、「他の学校との合併には反対で、それとは別の対策が望ましい理由」のみが書かれていました。
3つ目のグループの記事は、合併に賛成する理由と反対する理由、そのどちらも書かれていました。
これらの記事を読んでもらったうえで、学校がどうするべきか正しく判断できると思うかどうか、参加者に答えてもらいます。
すると「十分な情報があり、正しく判断できる」と回答したのは、合併の賛否に関わらず、意見の半分だけを読んだ1と2のグループだったそうなんです。
しかもそのほとんどが、読んだ記事の意見の通りにするべきだと考えていたそうです。
情報が半分しかない参加者は、完全な情報を持つ参加者より、合併の是非について自信を抱いてしまったわけです。
参加者たちは、本当は情報の半分しか読んでいないのに、必要な情報をすべて知っていると思い込んでしまったようなんですね。
フレッチャー氏らは、こうした傾向を「情報十分性の錯覚」と呼んでいるそうです。
この錯覚にハマった人たちは、すべての情報を持っていないというのに、自分の決断は正しいと自信を持つわけです。
しかも、ほかの人たちもほとんどが自分と同じ決断をするだろうと思い込んでいたといいますから、ややこしい。
自分の正しさを信じて、例え誤りを指摘されても信じようとせず、同じ意見を持つ者だけしか受け入れない人たちがいるのは、こうした人間の傾向が1つの要因なのかもしれないという話です。
この研究で1つ前向きになれる発見は、このように勘違いしがちな人たちも、後からまた別の記事を読むと、それまでの意見を普通に変えてくれたということです。
それまでの乏しい情報に基づく判断に固執したりはしなかったそうなんです。
ただし、このことはイデオロギーに関連する話題では当てはまらないかもしれないと考えられるそうです。
イデオロギーとは、人間の行動を左右する根本的な思想や概念形態のことで、個人や集団がどのように世界を理解し、どんな行動を取るべきかを決める際の基盤となる信念のことです。
こうした話題になると、新しい情報や統計や研究に基づいた正しい情報が与えらえても、人はそれを素直に信頼しようとはしないそうです。
ですが、ほとんどの議論はイデオロギーに関するものではないのだから、話し合いでわかりあう余地は十分にあるだろうと、フレッチャー氏は述べています。
自分の理解は主観的なものでしかないのに、客観的な理解であると誤解しがちな傾向のことを「素朴実在論(そぼくじつざいろん)」というそうです。
「情報十分性の錯覚」もこれに関係する話です。
ですが今回の研究は、錯覚しやすい私たちであっても、十分な情報を与えられれば、きちんと同じ理解を共有できることを示しています(一方で、私たちは意見が食い違う人のことをほとんど理解していないという研究もあります)。
だから今度誰かと口論になるようなことがあれば、まずは冷静になって、話し合ってみるといいでしょう。
きっとお互いに知らない事情があるはずで、それがわかった時、ずっと冴えた解決策が見つかるはずです。
まぁ、この思い込みって誰にでもありますしねぇ…。
今日の話は、知っておいて損はないな(笑)
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院