海底のモザイク
2024年09月20日 [色々なこと]
お疲れ様です。院長です。
9月20日の金曜日でございます。
9月も残り10日ですね。
今日は、「国産ロケット初打ち上げの日」だそうです。
1957年(昭和32年)のこの日、秋田県道川海岸のロケットセンターから国産ロケットが初めて打ち上げられ、実験が成功したそうです。
では今日も元気にねたいきましょう〜。
なんでも、海底で発見された大理石でできた見事なモザイク床が、古代ローマ時代の水没都市だという話なんです。
イタリアの海底で、水没都市の大理石のモザイク床が発見されるなんて、どれだけロマンチックな話やねん(笑)
ナポリ湾の海底で、大理石でできた美しいモザイク床が見つかりました。
それは水没した古代都市バイアエの町の痕跡だったようなんです。
バイアエはユリウス・カエサルや皇帝ネロの邸宅があったことで有名な都市なんだそうです。
床のデザインには、円の中に多彩な四角形の大理石が内接するよう組まれたパターンが多用されているそうです。
この町はかつて富裕層の贅沢な温泉リゾート地で、今はローマのラスベガスとして知られるそうです。
知らんけど(笑)
水没した古代都市は「バイアエ」
バイアエはポンペイ近くのナポリ湾に面した都市で、地下からの圧力によって地面が隆起、沈下する緩慢地動という現象によって16世紀に水没したと考えられている都市です。
これまでの発掘調査でこの沈んだ古代都市からさまざまな遺物が回収されてきました。
今回発見されたモザイクの床は、異なる形状の大理石をいくつも組み合わせて、驚くような幾何学模様を描き出しているものもあるそうです。
不規則な形のこれら大理石は再利用されたもので、3〜5世紀にはこうした手法は一般的だったという話です。
このモザイク床は、大理石や貝、真珠層、ガラスなど色のついたさまざまな材料をランダムにカットして絵や模様にはめこむ美術技法、オプス・セクティレの一種だそうです。
このタイプのモザイクは、石やガラスの小さな立方体をたくさん並べて模様を作る通常のテッセラモザイクとは違います。
このゴージャスなモザイク模様は、ほかの壁や床に使われていた石を再利用して作られたと考えられるそうです。
バイアエで見つかったオプス・セクティレは、西暦3世紀にこの町の名士が所有していた別荘の応接室の床だったという可能性が高いそうです。
デザインに使われている材料は、ほかの床や壁に使われていたものを再利用したもので、持ち主にとって非常に高価なものだったことがわかります。
古代都市バイアエは当時のセレブ層のリゾート地だったようなんですね。
古代都市バイアエは、ユリウス・カエサル、ネロ、キケロ、ハドリアヌスなどローマのエリートの中でもとくに裕福で輝かしい人たちを惹きつけたファッショナブルなリゾート地だったようです。
美しい海岸線に豪奢な別荘が連なり、火山の恵みである近くの温泉には若返りや治療のために訪れる人も多かったそうです。
ですが次第にバイアエは快楽的な町へと変わっていきました。
有名なストア派哲学者セネカは、バイアエを悪徳と罪がはびこる避けるべき町だと表現したそうなんです。
ビーチには酔っ払いがはびこり、騒々しいバカ騒ぎが平和を乱していたと…。
繁栄の次にくるパターンですな。
いつの時代にも起こりうる話なんでしょう。
最終的にバイアエは消滅することとなりました。
ローマ帝国が崩壊すると、この町はさまざまな侵略者に攻撃され、8世紀にはイスラム軍の襲撃を受け、16世紀にはバイアエがあるフレグレイ平原内の火山活動によって海面下に沈むこととなったわけです。
現在、水中考古学者たちがこの水没都市のさまざまな面を復元しようと取り組んでいます。
かつてその一部であった複雑な世界の様子を見せてくれることが期待されています。
まぁ、衰退した都市ってだけならいくつもあるでしょうけど、海底に沈むとこまでいくってのは珍しいですよね。
まぁ、あんーまり興味はないですが、興味のある人にはすごい話なんでしょうね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
9月20日の金曜日でございます。
9月も残り10日ですね。
今日は、「国産ロケット初打ち上げの日」だそうです。
1957年(昭和32年)のこの日、秋田県道川海岸のロケットセンターから国産ロケットが初めて打ち上げられ、実験が成功したそうです。
では今日も元気にねたいきましょう〜。
なんでも、海底で発見された大理石でできた見事なモザイク床が、古代ローマ時代の水没都市だという話なんです。
イタリアの海底で、水没都市の大理石のモザイク床が発見されるなんて、どれだけロマンチックな話やねん(笑)
ナポリ湾の海底で、大理石でできた美しいモザイク床が見つかりました。
それは水没した古代都市バイアエの町の痕跡だったようなんです。
バイアエはユリウス・カエサルや皇帝ネロの邸宅があったことで有名な都市なんだそうです。
床のデザインには、円の中に多彩な四角形の大理石が内接するよう組まれたパターンが多用されているそうです。
この町はかつて富裕層の贅沢な温泉リゾート地で、今はローマのラスベガスとして知られるそうです。
知らんけど(笑)
水没した古代都市は「バイアエ」
バイアエはポンペイ近くのナポリ湾に面した都市で、地下からの圧力によって地面が隆起、沈下する緩慢地動という現象によって16世紀に水没したと考えられている都市です。
これまでの発掘調査でこの沈んだ古代都市からさまざまな遺物が回収されてきました。
今回発見されたモザイクの床は、異なる形状の大理石をいくつも組み合わせて、驚くような幾何学模様を描き出しているものもあるそうです。
不規則な形のこれら大理石は再利用されたもので、3〜5世紀にはこうした手法は一般的だったという話です。
このモザイク床は、大理石や貝、真珠層、ガラスなど色のついたさまざまな材料をランダムにカットして絵や模様にはめこむ美術技法、オプス・セクティレの一種だそうです。
このタイプのモザイクは、石やガラスの小さな立方体をたくさん並べて模様を作る通常のテッセラモザイクとは違います。
このゴージャスなモザイク模様は、ほかの壁や床に使われていた石を再利用して作られたと考えられるそうです。
バイアエで見つかったオプス・セクティレは、西暦3世紀にこの町の名士が所有していた別荘の応接室の床だったという可能性が高いそうです。
デザインに使われている材料は、ほかの床や壁に使われていたものを再利用したもので、持ち主にとって非常に高価なものだったことがわかります。
古代都市バイアエは当時のセレブ層のリゾート地だったようなんですね。
古代都市バイアエは、ユリウス・カエサル、ネロ、キケロ、ハドリアヌスなどローマのエリートの中でもとくに裕福で輝かしい人たちを惹きつけたファッショナブルなリゾート地だったようです。
美しい海岸線に豪奢な別荘が連なり、火山の恵みである近くの温泉には若返りや治療のために訪れる人も多かったそうです。
ですが次第にバイアエは快楽的な町へと変わっていきました。
有名なストア派哲学者セネカは、バイアエを悪徳と罪がはびこる避けるべき町だと表現したそうなんです。
ビーチには酔っ払いがはびこり、騒々しいバカ騒ぎが平和を乱していたと…。
繁栄の次にくるパターンですな。
いつの時代にも起こりうる話なんでしょう。
最終的にバイアエは消滅することとなりました。
ローマ帝国が崩壊すると、この町はさまざまな侵略者に攻撃され、8世紀にはイスラム軍の襲撃を受け、16世紀にはバイアエがあるフレグレイ平原内の火山活動によって海面下に沈むこととなったわけです。
現在、水中考古学者たちがこの水没都市のさまざまな面を復元しようと取り組んでいます。
かつてその一部であった複雑な世界の様子を見せてくれることが期待されています。
まぁ、衰退した都市ってだけならいくつもあるでしょうけど、海底に沈むとこまでいくってのは珍しいですよね。
まぁ、あんーまり興味はないですが、興味のある人にはすごい話なんでしょうね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院