思い出は一枚の写真。なんつって
2016年07月15日 [日々のこと]
お疲れ様です。院長です。
7月15日金曜日。
今週もここまでやってきました。
そして世間はお祭りムード。
そしてそろそろ梅雨明けですしねぇ〜
今日も天気はイマイチですが、何となく浮かれ気分になりますよねぇ。
って流れで今日のお話は、そんな浮かれ気分に水を差すお話。
昨日のブログで、祇園祭と記憶のお話をしましたが、今日もそんな記憶のお話です。
祇園祭に限らず、旅行に行ったり観光をしたりすると、みなさん必ず行う行動に「写真撮影」ってのがあるでしょ?
この頃じゃ、SNSが文化となってますから、みなさん事あるごとに撮影されてます。
もう、被写体はなんでもいいわけですよね。料理だったり、道端のネコだったり…
ですが、そんな行動、写真を撮った分だけ思い出が減ってしまっているかもしれないってお話はご存知でしょうか。
フェアフィールド大学の心理学者、リンダ・ヘンケル氏の研究によると、写真を撮ることで忘れないようにしようとしても、それが逆効果になってしまう場合があるんだそうです。
つまり、写真を撮ることが目的となってしまい、実際に体験したことが記憶に残らないという現象が起こる場合があるんですって…
ヘンケル氏は「人々は何かというとすぐにカメラを取り出しては、ほとんど何も考えずにシャッターを切っている。実際に自分が体験していることを記憶することを忘れるほどに。」と述べ、SNSで瞬時に写真を共有することに慣れている今の社会に警鐘を鳴らしているそうです。
ヘンケル氏率いる研究チームは、博物館のツアーに学生を参加させ、写真を撮りながら見学する学生と、ただ単に見学だけをする学生に分け、いくつかの展示品を覚えておくよう指示を与え、その結果を検証する実験を行いました。
翌日、指定した展示品に関する記憶を調べると、写真を撮影していた学生の方が、見学だけしていた学生に比べて、対象物に関する認識が正確さを欠いていたそうです。
ヘンケル氏はこの現象を「写真撮影減殺効果」と名付けたそうです。
まぁ、そのまんまですが…
この人は少なくとも日本人じゃないですから、日本語以外の言語で名付けられたんでしょうが、日本語訳に直すとこんな名前なんだねぇ…
「物事を覚えておくために技術の力に頼り、その出来事をカメラで記録することで、結局のところ自分自身で積極的に参加しようとする必要がなくなってしまい、経験したことをしっかり覚えておこうという気持ちが希薄になるんだとか。
まぁ、分からなくはないですよね。
メモも何もない場合、とにかく少しでも必死で覚えようとしますもんねぇ…
この実験ではさらに、撮影と記憶に関する別の発見もありました。
展示品を撮影した学生のうち、被写体の特定の部分をズームアップして撮影した学生は、ズームした部分だけではなく、写真のフレームに収まらない部分についての記憶も残っていたという。
ヘンケル氏は「こうした結果は『心の眼』と『カメラの眼』が同じではないことを示している」と述べ、写真は何かを記憶する助けにはなるが、それはズームアップ撮影のような、じっくり時間をかけて対象物を見直しを行った場合のみで、写真を過剰に撮影すると鑑賞がおろそかになる可能性を指摘してます。
なるほどねぇ…
つまりは、カメラでズーム撮影しようと思えば、その被写体をあらかじめ観察し、ファインダー越しから、またはファインダーを外して両眼でと、撮影の構図を考えますもんね。
この何度も見るって作業こそが、記憶の定着に一役買ってるそうで、どれだけ思い出にと写真を撮りためても見返さない限り、記憶されることはないと。
ですから、旅行なんかに行っても、とにかく写真を撮るって作業はやめて、まずはじっくり観察し、どこをどのアングルから狙うのかってことをちゃんと考えて撮らないといけないって事ですね。
昔はフィルムでしたから、こんなことはなかったんですよ。
なにせ、一枚、一枚お金みたいなもんですから、無駄にしちゃもったいないから、確実に今より狙って撮影しますしね。
逆に言えば、良い写真を撮るために景色を眺めるっていう行動を自然と行ってたんですね。
でも今はデジタルですから、何枚撮ろうが少々データが増えるだけ。それなら、ベストショットがいつ出るか分からないから、できるだけたくさん撮っとけってなりますわなぁ…
こんなところでも、デジタル化への弊害がでてるんですねぇ…
そして、撮ったデータを見かえすって意外としなくないですか?
まぁ、いつか見るだろうと、保存しておきますが逆にいつでも見れるから見かえさないと…
これも、昔はフィルム現像ですから、楽しみで楽しみで仕方なかったですもんね。
ですから、現像からあがってきた写真を、みんなで回し見するのが当たり前で、なんなら旅行にいったメンバーが、写真ができたから〜って理由でまた集まったりしましたもんね。
便利になる代わりになくすものは必ずありますねぇ…
ってことで、今日から出来るだけ思い出は思い出として、心に深く焼き付けられるようにしていきたいと思います。
今年は山鉾巡行でも見に行ってみようかしら…
ではまた〜
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
7月15日金曜日。
今週もここまでやってきました。
そして世間はお祭りムード。
そしてそろそろ梅雨明けですしねぇ〜
今日も天気はイマイチですが、何となく浮かれ気分になりますよねぇ。
って流れで今日のお話は、そんな浮かれ気分に水を差すお話。
昨日のブログで、祇園祭と記憶のお話をしましたが、今日もそんな記憶のお話です。
祇園祭に限らず、旅行に行ったり観光をしたりすると、みなさん必ず行う行動に「写真撮影」ってのがあるでしょ?
この頃じゃ、SNSが文化となってますから、みなさん事あるごとに撮影されてます。
もう、被写体はなんでもいいわけですよね。料理だったり、道端のネコだったり…
ですが、そんな行動、写真を撮った分だけ思い出が減ってしまっているかもしれないってお話はご存知でしょうか。
フェアフィールド大学の心理学者、リンダ・ヘンケル氏の研究によると、写真を撮ることで忘れないようにしようとしても、それが逆効果になってしまう場合があるんだそうです。
つまり、写真を撮ることが目的となってしまい、実際に体験したことが記憶に残らないという現象が起こる場合があるんですって…
ヘンケル氏は「人々は何かというとすぐにカメラを取り出しては、ほとんど何も考えずにシャッターを切っている。実際に自分が体験していることを記憶することを忘れるほどに。」と述べ、SNSで瞬時に写真を共有することに慣れている今の社会に警鐘を鳴らしているそうです。
ヘンケル氏率いる研究チームは、博物館のツアーに学生を参加させ、写真を撮りながら見学する学生と、ただ単に見学だけをする学生に分け、いくつかの展示品を覚えておくよう指示を与え、その結果を検証する実験を行いました。
翌日、指定した展示品に関する記憶を調べると、写真を撮影していた学生の方が、見学だけしていた学生に比べて、対象物に関する認識が正確さを欠いていたそうです。
ヘンケル氏はこの現象を「写真撮影減殺効果」と名付けたそうです。
まぁ、そのまんまですが…
この人は少なくとも日本人じゃないですから、日本語以外の言語で名付けられたんでしょうが、日本語訳に直すとこんな名前なんだねぇ…
「物事を覚えておくために技術の力に頼り、その出来事をカメラで記録することで、結局のところ自分自身で積極的に参加しようとする必要がなくなってしまい、経験したことをしっかり覚えておこうという気持ちが希薄になるんだとか。
まぁ、分からなくはないですよね。
メモも何もない場合、とにかく少しでも必死で覚えようとしますもんねぇ…
この実験ではさらに、撮影と記憶に関する別の発見もありました。
展示品を撮影した学生のうち、被写体の特定の部分をズームアップして撮影した学生は、ズームした部分だけではなく、写真のフレームに収まらない部分についての記憶も残っていたという。
ヘンケル氏は「こうした結果は『心の眼』と『カメラの眼』が同じではないことを示している」と述べ、写真は何かを記憶する助けにはなるが、それはズームアップ撮影のような、じっくり時間をかけて対象物を見直しを行った場合のみで、写真を過剰に撮影すると鑑賞がおろそかになる可能性を指摘してます。
なるほどねぇ…
つまりは、カメラでズーム撮影しようと思えば、その被写体をあらかじめ観察し、ファインダー越しから、またはファインダーを外して両眼でと、撮影の構図を考えますもんね。
この何度も見るって作業こそが、記憶の定着に一役買ってるそうで、どれだけ思い出にと写真を撮りためても見返さない限り、記憶されることはないと。
ですから、旅行なんかに行っても、とにかく写真を撮るって作業はやめて、まずはじっくり観察し、どこをどのアングルから狙うのかってことをちゃんと考えて撮らないといけないって事ですね。
昔はフィルムでしたから、こんなことはなかったんですよ。
なにせ、一枚、一枚お金みたいなもんですから、無駄にしちゃもったいないから、確実に今より狙って撮影しますしね。
逆に言えば、良い写真を撮るために景色を眺めるっていう行動を自然と行ってたんですね。
でも今はデジタルですから、何枚撮ろうが少々データが増えるだけ。それなら、ベストショットがいつ出るか分からないから、できるだけたくさん撮っとけってなりますわなぁ…
こんなところでも、デジタル化への弊害がでてるんですねぇ…
そして、撮ったデータを見かえすって意外としなくないですか?
まぁ、いつか見るだろうと、保存しておきますが逆にいつでも見れるから見かえさないと…
これも、昔はフィルム現像ですから、楽しみで楽しみで仕方なかったですもんね。
ですから、現像からあがってきた写真を、みんなで回し見するのが当たり前で、なんなら旅行にいったメンバーが、写真ができたから〜って理由でまた集まったりしましたもんね。
便利になる代わりになくすものは必ずありますねぇ…
ってことで、今日から出来るだけ思い出は思い出として、心に深く焼き付けられるようにしていきたいと思います。
今年は山鉾巡行でも見に行ってみようかしら…
ではまた〜
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院