祇園祭の記憶について
2016年07月14日 [からだのこと]
お疲れ様です。院長です。
7月14日木曜日。
なかなか疲れる木曜日なんですが、世間では、今日から本格的に宵山って事になります。
一応16日が宵山で、15日が宵宵山、14日は宵宵宵山なんて呼ぶこともありますが、基本的には14〜16日を前祭の宵山と呼ぶのが正解のようです。
まぁ、京都の夏の風物詩なんで、何となく浮かれてきますよね。
あ、これは京都市民だけかもしれませんけどね。
特に私なんかは京都の町なかで生まれ育ちましたから、毎年祇園祭の混雑に辟易しながらも心待ちしております。
て言いながらも、実際に祭りに出向くわけではありませんし、山鉾巡行なんていつ以来見てないか…
ん?
いつ見たんやろ?(;'∀')
毎年のことすぎて記憶が曖昧です。
って事で、今日のお話は、そんな人間のあてにならない記憶についてお話します。
言われるまでもないですが、人間の記憶ほどあてにならないものはありません。ですから、そのあてにならない記憶を、記録する為のツールが多数存在するわけですよね。
ではなぜ人はきちんと記憶をしておくことができないのか?
このブログでも、何度となく記憶についての記事は書いてきましたが、それだけ記憶というものがいい加減で未知の領域内って事なんですよね。
ですから、今日はこれまでの研究でわかっている、人の記憶にまつわる傾向を検証していき、記憶のメカニズムに迫ってみましょうぜ。
まずは、選択肢、選択支持傾向という、まぁ自分に都合のいい記憶傾向が人間には備わってます。
これは簡単に言うと、自分が却下した選択肢よりも好意的に選んだ選択肢を記憶するというもので、裏を返すと選択しなかったものを切り離す、忘れるといった「決断」の手助けになってるともいえるかもしれません。
そして前にもお話した、出入り口効果と呼ばれる、いわゆるど忘れ現象。
もう一つの部屋に足を踏み入れてしまうと、前に考えていたことを忘れてしまうという現象です。この現象も結局何故起こるか分かっていないんですが、私が色々調べた結果、いわゆる「脳のシングルタスク」現象に関係あるんじゃないかと…
脳は一つの事に集中するように作られています。ですから、出来るだけ一つの事に集中しようと、部屋を変われば次の事案に集中できるように、前の記憶をシャットダウンするってことですね。
ですから、例えば勉強をしている時でも、科目を変えるときは一度部屋を出てみるとかはかなり使える手法だと思われます。ぜひお試しあれ。
そして、次がネガティブ・バイアスと呼ばれる、悪い記憶はポジティブな記憶よりも素早く蓄えられて、より正確に思い出されるってやつですね。
これは危険な間違いを繰り返すことを避けるのに役立つためではないか、といわれていますが、実際は定かではありません。
このネガティブ・バイアスのせいで、ちゃんとした記憶より、嫌だった記憶の方が優先して思い出されたり記憶として定着してしまったりします。
が、このネガティブ・バイアス、いわゆる「記憶術」なんかにはおおいに取り入れられています。
つまり、「記憶」するにはこのネガティブ・バイアスを利用するのが一番効率的ということですね。
私も、このネガティブ・バイアスを利用した記憶術を簡単なのですけど、ひとつ知ってます。
これは15個位の項目なら、わずか数分で完璧に覚えられますし、そしてなにより忘れません。
もし、反響があるようなら、またここで書いてみたいと思います。
そして、極めつけは脳の記憶の書き換え現象です。
最新の研究では、なんと脳が記憶を呼び起こすたびに、その記憶がさらにゆがむことが分かったそうです。
ですから、我々は正確なオリジナルの記憶ではなく、改変した記憶をだんだん思い出すようになるわけです。
ですから、よくある熟年夫婦なんかに、馴れ初め話なんかを聞いたところ、どちらも微妙に違う話をしだす…
大体が、自分に都合のよい話で、お互いガンとして譲らない(笑)
これは、どちらかが嘘をついてる可能性もなくはないですが、基本的にはどっちもが自分勝手に記憶を改変させてきてしまった結果と言えるかもしれませんね。
どうです?
なかなかいい加減でしょ?(笑)
ここに書いたことだけ読んでたら、人間ってどんだけいい加減なんや〜って思うかもしれませんが、要は人間の「脳」の容量の問題かと思われます。
その昔、脳は全体の数パーセントしか使わずに、後の90何パーセントは使っていないなんて話、聞いたことないですか?
あの話も、結構デタラメらしく、本当は現代人の「脳」はもはや情報過多によりパンパンだというのが、今の有力な説らしいです。
ですから、ある意味「どうでも良い事」から、曖昧な記憶として容量から解放してやることによって、新しい新鮮な情報が取り入れられるというのが今の考え方のようです。
というわけで、人間がちゃんと記憶しておけない話、いかがでした?
わたしにとって、山鉾巡行は「どうでもいい記憶」なんですが、「祇園祭りの雰囲気」は覚えていたい出来事なのかもしれませんね。
てことで、今日もパンパンの脳をフル回転させて頑張りま〜す。
ではまた〜
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
7月14日木曜日。
なかなか疲れる木曜日なんですが、世間では、今日から本格的に宵山って事になります。
一応16日が宵山で、15日が宵宵山、14日は宵宵宵山なんて呼ぶこともありますが、基本的には14〜16日を前祭の宵山と呼ぶのが正解のようです。
まぁ、京都の夏の風物詩なんで、何となく浮かれてきますよね。
あ、これは京都市民だけかもしれませんけどね。
特に私なんかは京都の町なかで生まれ育ちましたから、毎年祇園祭の混雑に辟易しながらも心待ちしております。
て言いながらも、実際に祭りに出向くわけではありませんし、山鉾巡行なんていつ以来見てないか…
ん?
いつ見たんやろ?(;'∀')
毎年のことすぎて記憶が曖昧です。
って事で、今日のお話は、そんな人間のあてにならない記憶についてお話します。
言われるまでもないですが、人間の記憶ほどあてにならないものはありません。ですから、そのあてにならない記憶を、記録する為のツールが多数存在するわけですよね。
ではなぜ人はきちんと記憶をしておくことができないのか?
このブログでも、何度となく記憶についての記事は書いてきましたが、それだけ記憶というものがいい加減で未知の領域内って事なんですよね。
ですから、今日はこれまでの研究でわかっている、人の記憶にまつわる傾向を検証していき、記憶のメカニズムに迫ってみましょうぜ。
まずは、選択肢、選択支持傾向という、まぁ自分に都合のいい記憶傾向が人間には備わってます。
これは簡単に言うと、自分が却下した選択肢よりも好意的に選んだ選択肢を記憶するというもので、裏を返すと選択しなかったものを切り離す、忘れるといった「決断」の手助けになってるともいえるかもしれません。
そして前にもお話した、出入り口効果と呼ばれる、いわゆるど忘れ現象。
もう一つの部屋に足を踏み入れてしまうと、前に考えていたことを忘れてしまうという現象です。この現象も結局何故起こるか分かっていないんですが、私が色々調べた結果、いわゆる「脳のシングルタスク」現象に関係あるんじゃないかと…
脳は一つの事に集中するように作られています。ですから、出来るだけ一つの事に集中しようと、部屋を変われば次の事案に集中できるように、前の記憶をシャットダウンするってことですね。
ですから、例えば勉強をしている時でも、科目を変えるときは一度部屋を出てみるとかはかなり使える手法だと思われます。ぜひお試しあれ。
そして、次がネガティブ・バイアスと呼ばれる、悪い記憶はポジティブな記憶よりも素早く蓄えられて、より正確に思い出されるってやつですね。
これは危険な間違いを繰り返すことを避けるのに役立つためではないか、といわれていますが、実際は定かではありません。
このネガティブ・バイアスのせいで、ちゃんとした記憶より、嫌だった記憶の方が優先して思い出されたり記憶として定着してしまったりします。
が、このネガティブ・バイアス、いわゆる「記憶術」なんかにはおおいに取り入れられています。
つまり、「記憶」するにはこのネガティブ・バイアスを利用するのが一番効率的ということですね。
私も、このネガティブ・バイアスを利用した記憶術を簡単なのですけど、ひとつ知ってます。
これは15個位の項目なら、わずか数分で完璧に覚えられますし、そしてなにより忘れません。
もし、反響があるようなら、またここで書いてみたいと思います。
そして、極めつけは脳の記憶の書き換え現象です。
最新の研究では、なんと脳が記憶を呼び起こすたびに、その記憶がさらにゆがむことが分かったそうです。
ですから、我々は正確なオリジナルの記憶ではなく、改変した記憶をだんだん思い出すようになるわけです。
ですから、よくある熟年夫婦なんかに、馴れ初め話なんかを聞いたところ、どちらも微妙に違う話をしだす…
大体が、自分に都合のよい話で、お互いガンとして譲らない(笑)
これは、どちらかが嘘をついてる可能性もなくはないですが、基本的にはどっちもが自分勝手に記憶を改変させてきてしまった結果と言えるかもしれませんね。
どうです?
なかなかいい加減でしょ?(笑)
ここに書いたことだけ読んでたら、人間ってどんだけいい加減なんや〜って思うかもしれませんが、要は人間の「脳」の容量の問題かと思われます。
その昔、脳は全体の数パーセントしか使わずに、後の90何パーセントは使っていないなんて話、聞いたことないですか?
あの話も、結構デタラメらしく、本当は現代人の「脳」はもはや情報過多によりパンパンだというのが、今の有力な説らしいです。
ですから、ある意味「どうでも良い事」から、曖昧な記憶として容量から解放してやることによって、新しい新鮮な情報が取り入れられるというのが今の考え方のようです。
というわけで、人間がちゃんと記憶しておけない話、いかがでした?
わたしにとって、山鉾巡行は「どうでもいい記憶」なんですが、「祇園祭りの雰囲気」は覚えていたい出来事なのかもしれませんね。
てことで、今日もパンパンの脳をフル回転させて頑張りま〜す。
ではまた〜
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院