(続)(続)(続)(続)Voynich Manuscript(ヴォイニッチ手稿)
2023年02月20日 [色々なこと]
お疲れ様です。院長です。
2月20日の月曜日でございます。
2月も20日過ぎました。今週は真ん中に天皇誕生日がありますから、息抜きできますねぇ。
てことで、今日もネタにいきますが、今日のネタはこのブログでも紹介し続けてます、ヴォイニッチ手稿についての最新の話題です。
ヴォイニッチ手稿…
知らない人は、過去のブログを読んできてください。
1回目が2016年9月8日、2回目が2017年9月18日、3回目が2017年9月28日…
そして4回目が、2018年2月12日でございます。
今日で5回目ですな。
1912年にイタリアで発見された写本「ヴォイニッチ手稿」は、その謎めいた文字と奇妙かわいい挿絵が話題となり、世界各国の研究者やAIが解読を試みているものの、いずれも決め手に欠けています。
ですが謎めいているのは、その内容だけではありません。
ヴォイニッチ手稿の起源や所有者といった、本の歴史もまた謎めいているんですね。
今回いく人かの所有者が明らかになったことで、歴史の空白の一部が埋められたようなんです。
放射性炭素年代測定法の分析によれば、1404年から1438年の間に書かれたものらしいんですが、この手稿の存在にふれた一番古い記録は1639年のものです。
それは、チェコの首都、プラハの錬金術師ゲオルグ・バレシュ(Georg Baresch)がイエズス会の言語学者アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher)に宛てた手紙でした。
当時、バレシュは手稿の所有者で、その内容をどうにか読めないかとキルヒャーに相談したようなんです。
キルヒャーもまた解読することはできませんでしたが、彼も本に大いに興味を惹かれ、譲ってもらえないかとバレシュに頼み、断られたそうです。
ですが1665年、キルヒャーはついに本を手にします。
バレシュは親友のヤン・マレク・マルチ(Jan Marek Marci)に手稿を譲り、そこからキルヒャーに渡ったようなんです。
マルチがキルヒャーに宛てた手紙には、この本の所有者の変遷を伝える貴重な手がかりが記されていました。
マルチが記したところによると、神聖ローマ皇帝「ルドルフ2世(在位1576〜1612年)」が600ドゥカート金貨という大金でヴォイニッチ手稿を購入したことがあると…。
ただこの事実を示す公式な文献は残されていません。
当時、帝国の図書予算は3年間で1000フローリン金貨(ドゥカート金貨と同等の価値があったとされる)だったので、1冊の本に600ドゥカート金貨というのは常識的ではありません。
帝国図書館や皇帝の私的な蔵書の目録にもヴォイニッチ手稿は記載されていませんし、1648年以降(この年スウェーデン軍が皇帝の図書館を略奪)のスウェーデン王立図書館の記録にもありません。
ですがこのほどドイツ ・ブレーメン芸術大学のシュテファン・グジー教授が、ルドルフ2世が本当にヴォイニッチ手稿を購入していたらしきことを示す、新たな記録を発見したと報告しています。
宮廷の会計帳簿に、その事実を裏付ける記録があったのだとか…。
グジー教授は、ウィーンやプラハの”ご座所”でつけられた帳簿126冊に記されていた7000件の仕訳を詳しく調べてみました。
すると、たった1件だけ金貨600枚で書籍を購入した記録があったそうなんです。
それは1599年当時のもので、医師のカール・ヴィーデマン(Carl Widemann)がルドルフ2世に写本のコレクションを500ターラー銀貨で売却したことを証明するものでした。
別の記録によれば、金額は600フローリン金貨に相当するとか、さらにまた別の記録では、このコレクションについて「注目すべき/珍しい本」と評し、小さな樽で運ばれたと記されていたそうです。
この記録には、皇帝以前の所有者を知るヒントも残されていました。
ヴォイニッチ手稿の売主であるヴィーデマンは、16世紀のドイツ人医師レオンハルト・ラウヴォルフ(Leonard Rauwolf)という人物の家に住んでいました。
ラウヴォルフは植物学者でもあり、近代になって初めて近東の植物を収集・記録したことでも知られています。
そのためヴィーデマンはラウヴォルフからヴォイニッチ手稿を譲り受けたのではと推測されるわけなんです。
植物がたくさん描かれたヴォイニッチ手稿は、植物学者にとって興味深いものだったと考えられますもんね。
この研究は、第1回ヴォイニッチ手稿国際会議(International Conference on the Voynich Manuscript)の議事録にも掲載されたそうです。
まぁ、まだまだ謎だらけですねぇ。
わたくし院長、前にも書きましたが、これってただの子供の落書き帳じゃないの?って今でも思ってるんですけど、歴史が乗っかると色々面白いですな。
いつか、真実が分かる日が来るんでしょうか…。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
2月20日の月曜日でございます。
2月も20日過ぎました。今週は真ん中に天皇誕生日がありますから、息抜きできますねぇ。
てことで、今日もネタにいきますが、今日のネタはこのブログでも紹介し続けてます、ヴォイニッチ手稿についての最新の話題です。
ヴォイニッチ手稿…
知らない人は、過去のブログを読んできてください。
1回目が2016年9月8日、2回目が2017年9月18日、3回目が2017年9月28日…
そして4回目が、2018年2月12日でございます。
今日で5回目ですな。
1912年にイタリアで発見された写本「ヴォイニッチ手稿」は、その謎めいた文字と奇妙かわいい挿絵が話題となり、世界各国の研究者やAIが解読を試みているものの、いずれも決め手に欠けています。
ですが謎めいているのは、その内容だけではありません。
ヴォイニッチ手稿の起源や所有者といった、本の歴史もまた謎めいているんですね。
今回いく人かの所有者が明らかになったことで、歴史の空白の一部が埋められたようなんです。
放射性炭素年代測定法の分析によれば、1404年から1438年の間に書かれたものらしいんですが、この手稿の存在にふれた一番古い記録は1639年のものです。
それは、チェコの首都、プラハの錬金術師ゲオルグ・バレシュ(Georg Baresch)がイエズス会の言語学者アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher)に宛てた手紙でした。
当時、バレシュは手稿の所有者で、その内容をどうにか読めないかとキルヒャーに相談したようなんです。
キルヒャーもまた解読することはできませんでしたが、彼も本に大いに興味を惹かれ、譲ってもらえないかとバレシュに頼み、断られたそうです。
ですが1665年、キルヒャーはついに本を手にします。
バレシュは親友のヤン・マレク・マルチ(Jan Marek Marci)に手稿を譲り、そこからキルヒャーに渡ったようなんです。
マルチがキルヒャーに宛てた手紙には、この本の所有者の変遷を伝える貴重な手がかりが記されていました。
マルチが記したところによると、神聖ローマ皇帝「ルドルフ2世(在位1576〜1612年)」が600ドゥカート金貨という大金でヴォイニッチ手稿を購入したことがあると…。
ただこの事実を示す公式な文献は残されていません。
当時、帝国の図書予算は3年間で1000フローリン金貨(ドゥカート金貨と同等の価値があったとされる)だったので、1冊の本に600ドゥカート金貨というのは常識的ではありません。
帝国図書館や皇帝の私的な蔵書の目録にもヴォイニッチ手稿は記載されていませんし、1648年以降(この年スウェーデン軍が皇帝の図書館を略奪)のスウェーデン王立図書館の記録にもありません。
ですがこのほどドイツ ・ブレーメン芸術大学のシュテファン・グジー教授が、ルドルフ2世が本当にヴォイニッチ手稿を購入していたらしきことを示す、新たな記録を発見したと報告しています。
宮廷の会計帳簿に、その事実を裏付ける記録があったのだとか…。
グジー教授は、ウィーンやプラハの”ご座所”でつけられた帳簿126冊に記されていた7000件の仕訳を詳しく調べてみました。
すると、たった1件だけ金貨600枚で書籍を購入した記録があったそうなんです。
それは1599年当時のもので、医師のカール・ヴィーデマン(Carl Widemann)がルドルフ2世に写本のコレクションを500ターラー銀貨で売却したことを証明するものでした。
別の記録によれば、金額は600フローリン金貨に相当するとか、さらにまた別の記録では、このコレクションについて「注目すべき/珍しい本」と評し、小さな樽で運ばれたと記されていたそうです。
この記録には、皇帝以前の所有者を知るヒントも残されていました。
ヴォイニッチ手稿の売主であるヴィーデマンは、16世紀のドイツ人医師レオンハルト・ラウヴォルフ(Leonard Rauwolf)という人物の家に住んでいました。
ラウヴォルフは植物学者でもあり、近代になって初めて近東の植物を収集・記録したことでも知られています。
そのためヴィーデマンはラウヴォルフからヴォイニッチ手稿を譲り受けたのではと推測されるわけなんです。
植物がたくさん描かれたヴォイニッチ手稿は、植物学者にとって興味深いものだったと考えられますもんね。
この研究は、第1回ヴォイニッチ手稿国際会議(International Conference on the Voynich Manuscript)の議事録にも掲載されたそうです。
まぁ、まだまだ謎だらけですねぇ。
わたくし院長、前にも書きましたが、これってただの子供の落書き帳じゃないの?って今でも思ってるんですけど、歴史が乗っかると色々面白いですな。
いつか、真実が分かる日が来るんでしょうか…。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院