不平等とゼロサム思考
2022年06月24日 [色々なこと]
お疲れ様です。院長です。
6月24日の金曜日でございます。
6月も残り1週間を切りましたね。
もうすぐ夏ですなぁ。
ま、待ち遠しくもないですけど、梅雨よりはマシですな。
では今日のネタですが、今日は「平等」についてのお話しでもしてみようかと思います。
なんでも、人は不平等を減らすことをあまり好まないという研究結果が報告されたんだそうです。
これは、例えそうじゃなくても、誰かが得をすると、自分が損をすると感じてしまうことが原因なんだとか…。
社会的に不利な立場にある人々の平等性を高めることを目的とした政策などは、依然として誰かの反発を引き起こしていますが、こういった本質が根底にあるそうなんです。
最新の研究によると、多くの人は無意識のうちに、「ゼロサム」思考で考えているそうですよ。
この「ゼロサム」思考とは、一方が利益を得たならば、もう一方は同じだけの損をし、全体としてはプラマイ「ゼロ」になるという考え方です。
ゼロサムの考え方だと、他人や他グループがチャンスを手にすると、たとえそれが自分にとっても得な状況であったとしても、自らのチャンスが失われると誤って認識してしまいます。
それゆえに格差を是正しようという動きは、必ず誰かから反対されるということになるそうです。
カリフォルニア大学バークレー校博士課程の学生デレク・ブラウン氏らの過去の研究では、米国の高等教育で多数派(マジョリティ)を占める白人とアジア人は、少数派(マイノリティ)の大学院進学率を上げる政策について、自分たちの進学率の低下につながると考えているこたことが判明しています。
そこでブラウン氏の最新の研究では、大学院の進学率だけでなく、より幅広い社会的状況における格差是正に対して、多数派がどのように反応するのかを調べまし。
重要なことは、今回の研究で扱っているのはゼロサム的状況ではなく、つまりどちらかが得をすればどちらかが損をするわけではないということです。
少数派の状況を改善しても、多数派の現状は維持(あるいは改善される)ような状況に対して、多数派がどう反応するのかを調べたわけです。
その結果、ある実験では、白人(米国では多数派)の参加者に、「2018年、白人の住宅購入者は銀行から3863億ドルの住宅ローンを受けた。一方、ラテン系は126億ドルだった」と説明しました。
その上で、人種間の格差を縮小するため、「白人への融資枠を「維持」しつつ、銀行はラテン系への住宅ローンを増やすべきだろうか?」と質問したそうです。
すると、白人への融資枠は維持されると明言されているにもかかわらず、「ラテン系への融資枠が増えれば自分たちの枠は減る」と白人の参加者は考える傾向にあったそうです。
それどころか「ラテン系への枠を減らせば、自分たちの枠は更に増えるはずだ」と考えた者もいたそうです。
このような誤解は、多数派と少数派双方にとって有利な状況でも当てはまるようなんです。
例えば、ラテン系の人々への住宅ローン枠を増やすために、融資枠全体を広げてはどうか? と質問に対して、白人の参加者はそれでも「自分たちへの融資条件は厳しくなるだろう」と考えるわけなんです。
一方、ローン枠全体を縮小したとしても(白人もラテン系も融資枠が減る)、白人は自分たちに実害はないと考える傾向にあったそうです。
さらに奇妙なことに、住宅ローンに制限がなく、借りたい人なら全員が借りられるような状況はどうだろうか? と質問すると、白人の参加者は、「いずれにせよラテン系へのローン枠を増やすなら、白人は借りにくくなるだろう」と感じるんだとか…。
ちなみに、自分たちが損をすると誤解されないのは、自分が属するグループ内の格差が是正されるときだけだったそうです。
例えば、男性間の給与格差を縮小すると伝えれば、そう信じてもらえるが、男女間の給与格差を縮小すると伝えてもダメなんだそうです。
こうした結果は、外より内をひいきする、社会心理学でいうところの「社会的アイデンティティ理論」を裏付けているんだとか…。
同理論によれば、自分が所属するグループと他所のグループとの資源の配分を考える際、人は「相対的」に有利な配分を好みます。
その一方で、たとえ自分が得していたとしても、相対的な優位性が低下するなら損失とみなすようなんです。
格差は世界にとって社会的・経済的コストであることを考えると、こうした傾向は非常に厄介であると、ブラウン氏は語っています。
まぁ、分かる気もしますが…。
しかし、この世はすべてゼロサムで動いているわけではありません。
例えば、今ある市場を奪い合えばゼロサムになりますが、市場を成長させれば、双方が恩恵を受けることができますし、社会全体が成長していきます。
にもかかわらず、どうしても自分の優位性にこだわってしまうんですね。
ブラウン氏らは、不平等が社会全体にとってどれほど重荷なのか、人は誤解しているのではないかと指摘しています。
ですが、これって人間が持ってる本能的なものじゃないんですかねぇ。
人間は、なんであれ必ず「上限」があると考えるでしょう。
この限度の中で奪う合うわけですから、相対的に優位に立たないと、意味がないと考えるんじゃないですかね。
動物なら、今より量が増えたという事実だけで単純に喜べるんだと思いますよ。
これはやはり人間ならでは問題な気がしますけどね。
てより、色んなことを研究してる人がいるんだなぁと感心しますね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
6月24日の金曜日でございます。
6月も残り1週間を切りましたね。
もうすぐ夏ですなぁ。
ま、待ち遠しくもないですけど、梅雨よりはマシですな。
では今日のネタですが、今日は「平等」についてのお話しでもしてみようかと思います。
なんでも、人は不平等を減らすことをあまり好まないという研究結果が報告されたんだそうです。
これは、例えそうじゃなくても、誰かが得をすると、自分が損をすると感じてしまうことが原因なんだとか…。
社会的に不利な立場にある人々の平等性を高めることを目的とした政策などは、依然として誰かの反発を引き起こしていますが、こういった本質が根底にあるそうなんです。
最新の研究によると、多くの人は無意識のうちに、「ゼロサム」思考で考えているそうですよ。
この「ゼロサム」思考とは、一方が利益を得たならば、もう一方は同じだけの損をし、全体としてはプラマイ「ゼロ」になるという考え方です。
ゼロサムの考え方だと、他人や他グループがチャンスを手にすると、たとえそれが自分にとっても得な状況であったとしても、自らのチャンスが失われると誤って認識してしまいます。
それゆえに格差を是正しようという動きは、必ず誰かから反対されるということになるそうです。
カリフォルニア大学バークレー校博士課程の学生デレク・ブラウン氏らの過去の研究では、米国の高等教育で多数派(マジョリティ)を占める白人とアジア人は、少数派(マイノリティ)の大学院進学率を上げる政策について、自分たちの進学率の低下につながると考えているこたことが判明しています。
そこでブラウン氏の最新の研究では、大学院の進学率だけでなく、より幅広い社会的状況における格差是正に対して、多数派がどのように反応するのかを調べまし。
重要なことは、今回の研究で扱っているのはゼロサム的状況ではなく、つまりどちらかが得をすればどちらかが損をするわけではないということです。
少数派の状況を改善しても、多数派の現状は維持(あるいは改善される)ような状況に対して、多数派がどう反応するのかを調べたわけです。
その結果、ある実験では、白人(米国では多数派)の参加者に、「2018年、白人の住宅購入者は銀行から3863億ドルの住宅ローンを受けた。一方、ラテン系は126億ドルだった」と説明しました。
その上で、人種間の格差を縮小するため、「白人への融資枠を「維持」しつつ、銀行はラテン系への住宅ローンを増やすべきだろうか?」と質問したそうです。
すると、白人への融資枠は維持されると明言されているにもかかわらず、「ラテン系への融資枠が増えれば自分たちの枠は減る」と白人の参加者は考える傾向にあったそうです。
それどころか「ラテン系への枠を減らせば、自分たちの枠は更に増えるはずだ」と考えた者もいたそうです。
このような誤解は、多数派と少数派双方にとって有利な状況でも当てはまるようなんです。
例えば、ラテン系の人々への住宅ローン枠を増やすために、融資枠全体を広げてはどうか? と質問に対して、白人の参加者はそれでも「自分たちへの融資条件は厳しくなるだろう」と考えるわけなんです。
一方、ローン枠全体を縮小したとしても(白人もラテン系も融資枠が減る)、白人は自分たちに実害はないと考える傾向にあったそうです。
さらに奇妙なことに、住宅ローンに制限がなく、借りたい人なら全員が借りられるような状況はどうだろうか? と質問すると、白人の参加者は、「いずれにせよラテン系へのローン枠を増やすなら、白人は借りにくくなるだろう」と感じるんだとか…。
ちなみに、自分たちが損をすると誤解されないのは、自分が属するグループ内の格差が是正されるときだけだったそうです。
例えば、男性間の給与格差を縮小すると伝えれば、そう信じてもらえるが、男女間の給与格差を縮小すると伝えてもダメなんだそうです。
こうした結果は、外より内をひいきする、社会心理学でいうところの「社会的アイデンティティ理論」を裏付けているんだとか…。
同理論によれば、自分が所属するグループと他所のグループとの資源の配分を考える際、人は「相対的」に有利な配分を好みます。
その一方で、たとえ自分が得していたとしても、相対的な優位性が低下するなら損失とみなすようなんです。
格差は世界にとって社会的・経済的コストであることを考えると、こうした傾向は非常に厄介であると、ブラウン氏は語っています。
まぁ、分かる気もしますが…。
しかし、この世はすべてゼロサムで動いているわけではありません。
例えば、今ある市場を奪い合えばゼロサムになりますが、市場を成長させれば、双方が恩恵を受けることができますし、社会全体が成長していきます。
にもかかわらず、どうしても自分の優位性にこだわってしまうんですね。
ブラウン氏らは、不平等が社会全体にとってどれほど重荷なのか、人は誤解しているのではないかと指摘しています。
ですが、これって人間が持ってる本能的なものじゃないんですかねぇ。
人間は、なんであれ必ず「上限」があると考えるでしょう。
この限度の中で奪う合うわけですから、相対的に優位に立たないと、意味がないと考えるんじゃないですかね。
動物なら、今より量が増えたという事実だけで単純に喜べるんだと思いますよ。
これはやはり人間ならでは問題な気がしますけどね。
てより、色んなことを研究してる人がいるんだなぁと感心しますね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院