古代メモ
2022年04月04日 [色々なこと]
お疲れ様です。院長です。
4月4日の月曜日でございます。
ボチボチ桜も満開なんですが、まだちょっと寒いねぇ。
とは言え少しづつ暖かくなってきてますし、いよいよ春満載で、これからホントに良い季節ですな。
気候がよくなるとぼんやりしちゃうというか、最近、物忘れが非常に激しくなったってな話しは、よく書いてますが、メモ書きって前よりしなくなりましたよね。
これは多分、スマホにメモ出来るからってのも大きいとは思うんですが、わたくし院長の場合、そのメモをなくしちゃう可能性があるからなんですよ。
さらに言うと、メモしたことすら忘れるみたいな…。
こうなるともう、どうしようもありませんが、今日のお話しは、なくすことはないだろうってメモ書きのお話しです。
なんと、古代エジプト人が陶器に書いた1万8000点以上の「メモ帳」が発見されたそうなんです。
これにより、2000年前の庶民の暮らしが明らかになるんだそうです。
古代エジプトの都市アスリビスから、1万8000点以上もの、陶器の破片「オストラコン」てものが発見されました。
オストラコンは現代のメモ帳のようなものなのだそうで、文字を書いたり刻んだりして使用されていたものなんだそうです。
その内容は、買い物リストから、取引記録、学校の勉強などさまざまで、2000年前の人々の日常生活がうかがえる貴重なものなんです。
ちなみに、これは「買い物メモ」らしいんです。
古代エジプト人は、「パピルス紙」という紙に比べて、陶器の破片「オストラコン」の方が安価だと考えていました。
破片に文字を書くのには、インクを浸したアシや中が空洞になった棒を使っていたようです。
エジプト考古省と共同で発掘を行ったチュービンゲン大学によると、古代エジプトの都市アスリビスで発掘されたオストラコンは文字が書かれているものがほとんどだったそうです。
ですが中には、サソリやツバメなどの動物や、人間、幾何学模様、神々などが描かれたものも見つかっているということです。
大量の陶器の破片(オストラコン)は、古代の学業とも関係があるようで、100以上の破片の表と裏に繰り返し文字が書かれているものなどは、悪さをした生徒が強制的に「書き取り」をさせられたものではないかと推測され、これは今日の学校でも、一種の罰則として使われている行為です。
月、数、算術の問題、文法練習、鳥のアルファベット(その文字から始まる鳥の名前が割り当てられたもの)なども書かれているそうで、当時の学習がうかがい知れる内容だそうなんです。
オストラコンの8割が、民衆文字「デモティック」で書かれているそうで、デモティックとは、クレオパトラの父プトレマイオス12世の時代(紀元前81〜59年、紀元前55〜51年)に使われた管理上の文字なんだとか…。
ギリシャ語は2番目に多く書かれている文字だそうですが、神官文字、象形文字、ギリシャ語、アラビア語、コプト語(ギリシャのアルファベットで書かれたエジプトの方言)なども見られ、アスリビスに多様な文化の歴史があったことを証明しています。
研究者は、何年もかかるでしょうが、すべての文章、あるいは大部分を分析したら、プトレマイオス王朝後期、またはローマ時代初期の庶民の日常生活について事例研究をすることができるでしょうと語っています。
これ、歴史、考古学好きにはたまらない 発見なんでしょうねぇ。
何となく分かります。
2003年、チュービンゲン大学の考古学者たちは、ルクソールの北193キロのところにあるアスリビス遺跡の発掘を始めました。
当初は、プトレマイオスが獅子の女神レピトと彼女の夫ミンを祀るために建てた巨大神殿の発掘が中心でした。
この神殿は、西暦380年にエジプトで異教崇拝が禁止されてから、女子修道院になってしまったもので、最近になって、研究チームは神殿の西の別の聖域に焦点を移しました。
研究チームは、メインの発掘現場の西側、階段や丸天井のある数階建ての建物近くでオストラコンを発見しました。
エジプトでこれまで見つかったもの中でも、二番目に大規模な発見だといいますから、かなりの大発見ですな。
発掘前、エジプトで発見されたオストラコンに匹敵する遺物は、1900年代始め、王家の谷近くのディール・エル=メディナの労働者居住地で見つかった医学書のコレクションだけでした。
これらは大変重要な発見で、歴史におけるアトリビスの経済や取引について、光が当たることになると、エジプト考古省最高評議会のモスタファ・ワジリ事務局長は言うてます。
破片に書かれた文章が、小麦やパンのような食糧を売り買いしていた、この地域の一般住民の金銭取引の実態を明らかにしてくれるそうなんです。
まぁ、こうやって歴史は紐解かれていくんでしょうねぇ。
歴史好きの学者さん、頑張って分析してください。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
4月4日の月曜日でございます。
ボチボチ桜も満開なんですが、まだちょっと寒いねぇ。
とは言え少しづつ暖かくなってきてますし、いよいよ春満載で、これからホントに良い季節ですな。
気候がよくなるとぼんやりしちゃうというか、最近、物忘れが非常に激しくなったってな話しは、よく書いてますが、メモ書きって前よりしなくなりましたよね。
これは多分、スマホにメモ出来るからってのも大きいとは思うんですが、わたくし院長の場合、そのメモをなくしちゃう可能性があるからなんですよ。
さらに言うと、メモしたことすら忘れるみたいな…。
こうなるともう、どうしようもありませんが、今日のお話しは、なくすことはないだろうってメモ書きのお話しです。
なんと、古代エジプト人が陶器に書いた1万8000点以上の「メモ帳」が発見されたそうなんです。
これにより、2000年前の庶民の暮らしが明らかになるんだそうです。
古代エジプトの都市アスリビスから、1万8000点以上もの、陶器の破片「オストラコン」てものが発見されました。
オストラコンは現代のメモ帳のようなものなのだそうで、文字を書いたり刻んだりして使用されていたものなんだそうです。
その内容は、買い物リストから、取引記録、学校の勉強などさまざまで、2000年前の人々の日常生活がうかがえる貴重なものなんです。
ちなみに、これは「買い物メモ」らしいんです。
古代エジプト人は、「パピルス紙」という紙に比べて、陶器の破片「オストラコン」の方が安価だと考えていました。
破片に文字を書くのには、インクを浸したアシや中が空洞になった棒を使っていたようです。
エジプト考古省と共同で発掘を行ったチュービンゲン大学によると、古代エジプトの都市アスリビスで発掘されたオストラコンは文字が書かれているものがほとんどだったそうです。
ですが中には、サソリやツバメなどの動物や、人間、幾何学模様、神々などが描かれたものも見つかっているということです。
大量の陶器の破片(オストラコン)は、古代の学業とも関係があるようで、100以上の破片の表と裏に繰り返し文字が書かれているものなどは、悪さをした生徒が強制的に「書き取り」をさせられたものではないかと推測され、これは今日の学校でも、一種の罰則として使われている行為です。
月、数、算術の問題、文法練習、鳥のアルファベット(その文字から始まる鳥の名前が割り当てられたもの)なども書かれているそうで、当時の学習がうかがい知れる内容だそうなんです。
オストラコンの8割が、民衆文字「デモティック」で書かれているそうで、デモティックとは、クレオパトラの父プトレマイオス12世の時代(紀元前81〜59年、紀元前55〜51年)に使われた管理上の文字なんだとか…。
ギリシャ語は2番目に多く書かれている文字だそうですが、神官文字、象形文字、ギリシャ語、アラビア語、コプト語(ギリシャのアルファベットで書かれたエジプトの方言)なども見られ、アスリビスに多様な文化の歴史があったことを証明しています。
研究者は、何年もかかるでしょうが、すべての文章、あるいは大部分を分析したら、プトレマイオス王朝後期、またはローマ時代初期の庶民の日常生活について事例研究をすることができるでしょうと語っています。
これ、歴史、考古学好きにはたまらない 発見なんでしょうねぇ。
何となく分かります。
2003年、チュービンゲン大学の考古学者たちは、ルクソールの北193キロのところにあるアスリビス遺跡の発掘を始めました。
当初は、プトレマイオスが獅子の女神レピトと彼女の夫ミンを祀るために建てた巨大神殿の発掘が中心でした。
この神殿は、西暦380年にエジプトで異教崇拝が禁止されてから、女子修道院になってしまったもので、最近になって、研究チームは神殿の西の別の聖域に焦点を移しました。
研究チームは、メインの発掘現場の西側、階段や丸天井のある数階建ての建物近くでオストラコンを発見しました。
エジプトでこれまで見つかったもの中でも、二番目に大規模な発見だといいますから、かなりの大発見ですな。
発掘前、エジプトで発見されたオストラコンに匹敵する遺物は、1900年代始め、王家の谷近くのディール・エル=メディナの労働者居住地で見つかった医学書のコレクションだけでした。
これらは大変重要な発見で、歴史におけるアトリビスの経済や取引について、光が当たることになると、エジプト考古省最高評議会のモスタファ・ワジリ事務局長は言うてます。
破片に書かれた文章が、小麦やパンのような食糧を売り買いしていた、この地域の一般住民の金銭取引の実態を明らかにしてくれるそうなんです。
まぁ、こうやって歴史は紐解かれていくんでしょうねぇ。
歴史好きの学者さん、頑張って分析してください。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院