吸血鬼と狂犬病
2022年01月26日 [からだのこと]
お疲れ様です。院長です。
1月26日の水曜日でございます。
毎日毎日、寒いですなぁ。
寒いのと、やはりこの時期、日の出が遅いですから、わたくし院長、基本太陽光を浴びません。
暗いうちに家を出て、暗くなって帰るって感じで、ホント日光を避けてるような毎日です(笑)
日光を避けると言うと、世の中に何となく存在する、「怪物」や「妖怪」なんかも日光を嫌うものは多いんですよね。
大人気漫画、「鬼滅の刃」に登場する「鬼」たちも日光を浴びると死んでしまいますしね。
てな、妙なはいりから、今日は日光がダメな世界的に有名な「怪物」に関するお話しです。
昔から民話や伝説の中に存在し、現代でも創作物の中で頻繁に登場する「吸血鬼」の存在を知らない人はいないでしょう。
ですが多くの点で、現代の吸血鬼像は、元となった東ヨーロッパの民間伝承とはかなりかけ離れているそうなんです。
「ドラキュラ」と呼ばれる吸血鬼について、スラヴ(中欧・東欧に居住し、スラヴ語を話す民族)の研究を長年行っている教授は、人の血を栄養源とするこの怪物の起源は、病気と強く結びついていると考えているんだとか…。
吸血鬼に関する最初の記述は、正教会が東ヨーロッパに伝わってまもない、西暦1047年に古ロシア語で書かれたものなんだそうです。
そこでは吸血鬼はUpirと呼ばれていますが、その起源ははっきりしません。
文字通りだと、「饗宴や生贄に関するもの」という意味だそうで、死者のための儀式の最中に現れると信じられていた、危険な霊的存在をさすものとされています。
これは、この生き物の名前を口にするのを避けるための婉曲表現で、残念ながら、歴史家が本当の名前を知ることはありませんし、その生物に関する信仰がいつ現れたのかもわからないようです。
吸血鬼はいくつかの病気の原因とされていた時代があったようなんですね。
彼らは、さまざまな問題の原因とされ、細菌やウィルスという概念が存在しなかった時代、特に病気の原因と決めつけられたんだとか…。
学者たちは、さまざまな病気と吸血鬼との関連について、いくつかの説を打ち出しています。
吸血鬼に関する信仰は、時代と共にどんどん変化していて、吸血鬼神話の起源が、たったひとつの病気から始まったということはないように思われます。
ですが、次のふたつの病気は、確かに密接な結びつきがあります。
ひとつは、ラテン語で「狂気」を意味する「狂犬病」です。
これは、かなり昔から知られていた病気で、噛まれることで動物から人に感染し、明らかに吸血鬼の古典的な特徴を表わしているといえるでしょう。
ほかにも興味深いつながりがあります。
この病気のおもな症状のひとつは、ハイドロフォビアと呼ばれる、液体を飲みこむことを嫌がるなどの症状です。
食道の筋肉がひどい痙攣を起こすため、狂犬病患者は飲み食いすることを避けるようになり、自分の唾を飲み込むことさえ嫌がり、結果的に口から泡を吹くようになります。
伝説では、吸血鬼は他者に運んでもらったり、なんらかの手助けがないと、流れる水を横切ることができないんだとか…。
この症状につながる解釈ともとれますねぇ…。
さらに、狂犬病患者は光を怖がり、睡眠パターンが逆転して攻撃性が増すと言われています。
さまざまな民間伝承で伝えられていることは、吸血鬼の特徴を表わしているわけですな。
もうひとつは、ナイアシン(ビタミンB3)や、トリプトファンというアミノ酸が不足することで引き起こされる「ペラグラ」という代謝内分泌疾患です。
トウモロコシ食品やアルコールの摂り過ぎによって引き起こされることが多い疾患です。
これは、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到着したのち、トウモロコシをヨーロッパへ持ち帰ったことに端を発します。
彼らヨーロッパ人は、トウモロコシの重要な下準備のステップを省いてしまったようなんです。
本当はペラグラの危険性を減らすために、トウモロコシを洗い、石灰水もしくはアルカリ水を使って「ニシュタマリゼーション」という処理を行わなくてはなりません。
ペラグラは、皮膚炎、下痢、痴呆を引き起こします。
日光に異常に過敏になり(これも、吸血鬼の特徴)、死人のような皮膚になってしまう者もいるんだとか…。
てな感じで、さまざまな病気が、吸血鬼伝説とつながりがあるようなんですが、だからといって、この伝説が実際にどうやって生まれたのかについての説明にはなっていないよねぇ。
ペラグラも狂犬病も、吸血鬼の歴史の中でカギとなる時期に流行したため、関連がある可能性はありますけどね。
1725年から1755年という時期は、いわゆる「吸血鬼の大流行期」にあたり、吸血鬼伝説が大陸を席巻したんだそうです。
ある病気が東ヨーロッパに広まると、超常現象がその原因とされ、吸血鬼ヒステリーがあちこちで起こったそうなんです。
大勢の人たちが、吸血鬼は死後もなんらかの形で生き続ける「アンデッド」で、死体を破壊しないと止めることはできないと信じたそうです。
そして、特別な「吸血鬼の埋葬儀式」を行ったそうです。
それは、遺体に杭を打ち込み、ニンニクで覆うといったことで、その他スラヴ民族の間で長いこと語り継がれてきたさまざまな伝統がありました。
この地でオスマン帝国と戦ったオーストリアとドイツの兵士が、墓を冒涜する行為を数多く目撃して帰国し、西ヨーロッパに吸血鬼の話を伝えました。
ですが、そもそもどうして、これほどまでに吸血鬼ヒステリーがわき起こったのでしょう?
病気が諸悪の根源なのはわかりますが、当時の東ヨーロッパは、悪いことが重なるある種の「破滅的な事態」に陥っていたようなんです。
吸血鬼大流行時代は、病気が蔓延しただけでなく、政治的にも宗教的にも激動の時代だったとも考えられます。
まぁ、意味の分からない病気が流行れば、人々は疑心暗鬼になるでしょうしねぇ。
さすがに現代では、いくらコロナが世界的に大流行しても、医学の進歩と通信が発達してますし、これが悪魔だ呪いだというようなことはないですもんね。
ま、どうでも良いような話ですが、雑学としては面白かったでしょ。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
1月26日の水曜日でございます。
毎日毎日、寒いですなぁ。
寒いのと、やはりこの時期、日の出が遅いですから、わたくし院長、基本太陽光を浴びません。
暗いうちに家を出て、暗くなって帰るって感じで、ホント日光を避けてるような毎日です(笑)
日光を避けると言うと、世の中に何となく存在する、「怪物」や「妖怪」なんかも日光を嫌うものは多いんですよね。
大人気漫画、「鬼滅の刃」に登場する「鬼」たちも日光を浴びると死んでしまいますしね。
てな、妙なはいりから、今日は日光がダメな世界的に有名な「怪物」に関するお話しです。
昔から民話や伝説の中に存在し、現代でも創作物の中で頻繁に登場する「吸血鬼」の存在を知らない人はいないでしょう。
ですが多くの点で、現代の吸血鬼像は、元となった東ヨーロッパの民間伝承とはかなりかけ離れているそうなんです。
「ドラキュラ」と呼ばれる吸血鬼について、スラヴ(中欧・東欧に居住し、スラヴ語を話す民族)の研究を長年行っている教授は、人の血を栄養源とするこの怪物の起源は、病気と強く結びついていると考えているんだとか…。
吸血鬼に関する最初の記述は、正教会が東ヨーロッパに伝わってまもない、西暦1047年に古ロシア語で書かれたものなんだそうです。
そこでは吸血鬼はUpirと呼ばれていますが、その起源ははっきりしません。
文字通りだと、「饗宴や生贄に関するもの」という意味だそうで、死者のための儀式の最中に現れると信じられていた、危険な霊的存在をさすものとされています。
これは、この生き物の名前を口にするのを避けるための婉曲表現で、残念ながら、歴史家が本当の名前を知ることはありませんし、その生物に関する信仰がいつ現れたのかもわからないようです。
吸血鬼はいくつかの病気の原因とされていた時代があったようなんですね。
彼らは、さまざまな問題の原因とされ、細菌やウィルスという概念が存在しなかった時代、特に病気の原因と決めつけられたんだとか…。
学者たちは、さまざまな病気と吸血鬼との関連について、いくつかの説を打ち出しています。
吸血鬼に関する信仰は、時代と共にどんどん変化していて、吸血鬼神話の起源が、たったひとつの病気から始まったということはないように思われます。
ですが、次のふたつの病気は、確かに密接な結びつきがあります。
ひとつは、ラテン語で「狂気」を意味する「狂犬病」です。
これは、かなり昔から知られていた病気で、噛まれることで動物から人に感染し、明らかに吸血鬼の古典的な特徴を表わしているといえるでしょう。
ほかにも興味深いつながりがあります。
この病気のおもな症状のひとつは、ハイドロフォビアと呼ばれる、液体を飲みこむことを嫌がるなどの症状です。
食道の筋肉がひどい痙攣を起こすため、狂犬病患者は飲み食いすることを避けるようになり、自分の唾を飲み込むことさえ嫌がり、結果的に口から泡を吹くようになります。
伝説では、吸血鬼は他者に運んでもらったり、なんらかの手助けがないと、流れる水を横切ることができないんだとか…。
この症状につながる解釈ともとれますねぇ…。
さらに、狂犬病患者は光を怖がり、睡眠パターンが逆転して攻撃性が増すと言われています。
さまざまな民間伝承で伝えられていることは、吸血鬼の特徴を表わしているわけですな。
もうひとつは、ナイアシン(ビタミンB3)や、トリプトファンというアミノ酸が不足することで引き起こされる「ペラグラ」という代謝内分泌疾患です。
トウモロコシ食品やアルコールの摂り過ぎによって引き起こされることが多い疾患です。
これは、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到着したのち、トウモロコシをヨーロッパへ持ち帰ったことに端を発します。
彼らヨーロッパ人は、トウモロコシの重要な下準備のステップを省いてしまったようなんです。
本当はペラグラの危険性を減らすために、トウモロコシを洗い、石灰水もしくはアルカリ水を使って「ニシュタマリゼーション」という処理を行わなくてはなりません。
ペラグラは、皮膚炎、下痢、痴呆を引き起こします。
日光に異常に過敏になり(これも、吸血鬼の特徴)、死人のような皮膚になってしまう者もいるんだとか…。
てな感じで、さまざまな病気が、吸血鬼伝説とつながりがあるようなんですが、だからといって、この伝説が実際にどうやって生まれたのかについての説明にはなっていないよねぇ。
ペラグラも狂犬病も、吸血鬼の歴史の中でカギとなる時期に流行したため、関連がある可能性はありますけどね。
1725年から1755年という時期は、いわゆる「吸血鬼の大流行期」にあたり、吸血鬼伝説が大陸を席巻したんだそうです。
ある病気が東ヨーロッパに広まると、超常現象がその原因とされ、吸血鬼ヒステリーがあちこちで起こったそうなんです。
大勢の人たちが、吸血鬼は死後もなんらかの形で生き続ける「アンデッド」で、死体を破壊しないと止めることはできないと信じたそうです。
そして、特別な「吸血鬼の埋葬儀式」を行ったそうです。
それは、遺体に杭を打ち込み、ニンニクで覆うといったことで、その他スラヴ民族の間で長いこと語り継がれてきたさまざまな伝統がありました。
この地でオスマン帝国と戦ったオーストリアとドイツの兵士が、墓を冒涜する行為を数多く目撃して帰国し、西ヨーロッパに吸血鬼の話を伝えました。
ですが、そもそもどうして、これほどまでに吸血鬼ヒステリーがわき起こったのでしょう?
病気が諸悪の根源なのはわかりますが、当時の東ヨーロッパは、悪いことが重なるある種の「破滅的な事態」に陥っていたようなんです。
吸血鬼大流行時代は、病気が蔓延しただけでなく、政治的にも宗教的にも激動の時代だったとも考えられます。
まぁ、意味の分からない病気が流行れば、人々は疑心暗鬼になるでしょうしねぇ。
さすがに現代では、いくらコロナが世界的に大流行しても、医学の進歩と通信が発達してますし、これが悪魔だ呪いだというようなことはないですもんね。
ま、どうでも良いような話ですが、雑学としては面白かったでしょ。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院