2・26の日
2020年02月26日 [日々のこと]
お疲れ様です。院長です。
2月26日の水曜日でございます。
2月も残すところ後3日でございます。
今年の冬は寒かったり、暖かかったりと何だか気持ち悪い冬でしたね。
オマケに例の新型コロナ肺炎も、全然収束の方向に向かいませんし嫌な冬ですわ。
もうすぐ3月に入りますし、少しずつ暖かくなり、日が長くなって春に近づきますが、ウィルスはまだまだ続きそうですもんねぇ。
春とともに好転すればいいんですけどね。
そんな2月26日ですが、あー。
2月26日ですね。
2・26事件のあった日ですな。
何となく数字を見てハッと思ったんですが、このブログ、もう5年続いてて2月26日も5回目なんですよね。
で、今回初めて2月26日に反応しました(笑)
別に、昨日今日習ったもんでもないですし、なんの弾みで反応したのかはよく分かりませんが…
折角なんで、2・26事件について少々お話しましょうか。
意外と、これについてキッチリ理解してるよって人も少ないと思うんでわたくし院長も含め、復習しときましょう。
まずは、歴史ですがこれは1936年の2月26日に起った事件です。
1936年っつったら、昭和11年の出来事です。
84年前の今日、陸軍の現役将校らが、1400人の兵士を従え、首相官邸などを襲撃し、永田町一帯を占拠してしまうという事件が起こりました。
いわゆるクーデターってヤツですね。
まぁ、今は軍隊はありませんから、例えば陸上自衛隊が、1400人も武装して首相官邸に向かえば、そりゃ大ごとになりますわな。
彼ら反乱軍のとりあえずのターゲットは、当時の首相岡田啓介だったんですが、首相はすぐに身を隠し、そこに居合わせた義弟の松尾伝蔵陸軍予備役大佐が殺害されました。
他にも、当時の大蔵大臣、高橋是清や内大臣、斎藤実、渡辺錠太郎教育総監・陸軍大将などが犠牲になりました。
では、青年将校らがクーデターを起こした目的は一体何だったのでしょうか。
当時の日本は、中国へ進出する一方、国際連盟から脱退し、貧富の格差が拡大するなどの問題を抱えていました。
そうした中、陸軍では、急進的な若手将校らが「昭和維新」を掲げ、国家革新を目指して決起したわけです。
この事件の首謀者は安藤輝三大尉、栗原安秀中尉、磯辺浅一元主計、村中孝次元大尉らでした。
彼らは天皇親政を目的とする「皇道派」でしたが、昭和天皇は「最も信頼する老臣を殺傷することは真綿にて我が首を絞めるに等しい行為」と激怒し、鎮圧を命じました。
まぁそれは当然の判断ですわね。
そして、昭和天皇の鎮圧命令を受け、2月27日、東京に厳戒令が敷かれ、29日、戒厳司令部は約2万4000の兵で反乱軍を包囲鎮圧しました。
結局、青年将校らは自殺した1人を除いて逮捕され、計19人が処刑されました。
反乱軍1400人に対し、2万4000人ですからねぇ…。
10倍以上の兵力に包囲されるわけですから、そりゃ鎮圧されますわな。
こうして、約3日間のクーデターは未遂に終わるわけですが、これにより「皇道派」は壊滅し、陸軍の主導権を争っていた「統制派」の力が強まるわけですね。
そして次第に軍部の支配が強まり、「陸海軍大臣は現役の軍人でなければならない」という「軍部大臣現役武官制」が復活しました。
そしてクーデターは未遂に終わったにもかかわらず、岡田内閣は総辞職することとなり、広田弘毅内閣が発足しましたが、軍の影響力が拡大し政治に介入するようになっていくんですね。
そして独裁的な戦時体制が敷かれていく流れになっていくわけです。
この流れをうけ、やがて登場する東条英機(1884〜1948年)内閣の時代に、太平洋戦争に突入して行くことになるわけですね。
東条英機は1940年から陸軍大臣、そして1941年〜1944年には首相を務めました。
そしてご承知の通り、日本は敗戦し、東条英機
もし、この2・26事件がなかったら、太平洋戦争も違うものになっていたかもしれませんし、もしかすると戦争にはならなかったかもしれませんねぇ。
ま、ザックリではありますがこういう事件が84年前の今日起ったわけです。
たった84年前なんですよね。
このクーデーターは未遂に終わったわけですが、過去日本でも成功しているクーデターもあります。
世界をみると歴史的なクーデターもたくさんありますが、クーデターが成功したからと言って、必ずしもその後の生活が好転してるかと言うとそうとも言えません。
つまり、やはり武力で何かを解決しようってのが無理なんでしょうね。
では世の中を変えるにはどうすればいいんでしょう。
そんなこと、わたくしには分かりません(笑)
ですが、世の中、変えなきゃならないことなんてそんなにないと思うんですけどね。
特に日本は何の問題もない国ですし、政治の関してもシッカリしてると思います。
その与えられた環境で、個々が出来ることを頑張ればもっと良い国になっていく気がしますけど…
ま、理想論かもしれませんが今日はそんな2・26の日でした。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
2月26日の水曜日でございます。
2月も残すところ後3日でございます。
今年の冬は寒かったり、暖かかったりと何だか気持ち悪い冬でしたね。
オマケに例の新型コロナ肺炎も、全然収束の方向に向かいませんし嫌な冬ですわ。
もうすぐ3月に入りますし、少しずつ暖かくなり、日が長くなって春に近づきますが、ウィルスはまだまだ続きそうですもんねぇ。
春とともに好転すればいいんですけどね。
そんな2月26日ですが、あー。
2月26日ですね。
2・26事件のあった日ですな。
何となく数字を見てハッと思ったんですが、このブログ、もう5年続いてて2月26日も5回目なんですよね。
で、今回初めて2月26日に反応しました(笑)
別に、昨日今日習ったもんでもないですし、なんの弾みで反応したのかはよく分かりませんが…
折角なんで、2・26事件について少々お話しましょうか。
意外と、これについてキッチリ理解してるよって人も少ないと思うんでわたくし院長も含め、復習しときましょう。
まずは、歴史ですがこれは1936年の2月26日に起った事件です。
1936年っつったら、昭和11年の出来事です。
84年前の今日、陸軍の現役将校らが、1400人の兵士を従え、首相官邸などを襲撃し、永田町一帯を占拠してしまうという事件が起こりました。
いわゆるクーデターってヤツですね。
まぁ、今は軍隊はありませんから、例えば陸上自衛隊が、1400人も武装して首相官邸に向かえば、そりゃ大ごとになりますわな。
彼ら反乱軍のとりあえずのターゲットは、当時の首相岡田啓介だったんですが、首相はすぐに身を隠し、そこに居合わせた義弟の松尾伝蔵陸軍予備役大佐が殺害されました。
他にも、当時の大蔵大臣、高橋是清や内大臣、斎藤実、渡辺錠太郎教育総監・陸軍大将などが犠牲になりました。
では、青年将校らがクーデターを起こした目的は一体何だったのでしょうか。
当時の日本は、中国へ進出する一方、国際連盟から脱退し、貧富の格差が拡大するなどの問題を抱えていました。
そうした中、陸軍では、急進的な若手将校らが「昭和維新」を掲げ、国家革新を目指して決起したわけです。
この事件の首謀者は安藤輝三大尉、栗原安秀中尉、磯辺浅一元主計、村中孝次元大尉らでした。
彼らは天皇親政を目的とする「皇道派」でしたが、昭和天皇は「最も信頼する老臣を殺傷することは真綿にて我が首を絞めるに等しい行為」と激怒し、鎮圧を命じました。
まぁそれは当然の判断ですわね。
そして、昭和天皇の鎮圧命令を受け、2月27日、東京に厳戒令が敷かれ、29日、戒厳司令部は約2万4000の兵で反乱軍を包囲鎮圧しました。
結局、青年将校らは自殺した1人を除いて逮捕され、計19人が処刑されました。
反乱軍1400人に対し、2万4000人ですからねぇ…。
10倍以上の兵力に包囲されるわけですから、そりゃ鎮圧されますわな。
こうして、約3日間のクーデターは未遂に終わるわけですが、これにより「皇道派」は壊滅し、陸軍の主導権を争っていた「統制派」の力が強まるわけですね。
そして次第に軍部の支配が強まり、「陸海軍大臣は現役の軍人でなければならない」という「軍部大臣現役武官制」が復活しました。
そしてクーデターは未遂に終わったにもかかわらず、岡田内閣は総辞職することとなり、広田弘毅内閣が発足しましたが、軍の影響力が拡大し政治に介入するようになっていくんですね。
そして独裁的な戦時体制が敷かれていく流れになっていくわけです。
この流れをうけ、やがて登場する東条英機(1884〜1948年)内閣の時代に、太平洋戦争に突入して行くことになるわけですね。
東条英機は1940年から陸軍大臣、そして1941年〜1944年には首相を務めました。
そしてご承知の通り、日本は敗戦し、東条英機
もし、この2・26事件がなかったら、太平洋戦争も違うものになっていたかもしれませんし、もしかすると戦争にはならなかったかもしれませんねぇ。
ま、ザックリではありますがこういう事件が84年前の今日起ったわけです。
たった84年前なんですよね。
このクーデーターは未遂に終わったわけですが、過去日本でも成功しているクーデターもあります。
世界をみると歴史的なクーデターもたくさんありますが、クーデターが成功したからと言って、必ずしもその後の生活が好転してるかと言うとそうとも言えません。
つまり、やはり武力で何かを解決しようってのが無理なんでしょうね。
では世の中を変えるにはどうすればいいんでしょう。
そんなこと、わたくしには分かりません(笑)
ですが、世の中、変えなきゃならないことなんてそんなにないと思うんですけどね。
特に日本は何の問題もない国ですし、政治の関してもシッカリしてると思います。
その与えられた環境で、個々が出来ることを頑張ればもっと良い国になっていく気がしますけど…
ま、理想論かもしれませんが今日はそんな2・26の日でした。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院