2024年12月17日 [色々なこと]
ツタンカーメンのイヤリング
お疲れ様です。院長です。
12月17日の火曜日でございます。
今日は「明治ブルガリアヨーグルトの日」なんだそうです。
では元気にネタいきましょう。
古代エジプトのファラオ、ツタンカーメン王の黄金のマスクはあまりにも有名ですよね。
その高さは54cm。貴石のモザイクが精巧にはめ込こまれていて重さ2.5kgのあごひげがついています。
ところが今回、前から噂になっていた、この仮面は王のために作られたものではなかったとの見解を裏付ける証拠が発見されたそうなんです。
英ヨーク大学の研究は、これまで見逃されていた手がかりを発見したそうなんです。
それはマスクにあったイヤリング用の穴なんだとか…。
エジプト学者のハワード・カーターによって、このマスクが初めて発見されたのは1925年のことで、1922年に見つかったルクソール近郊の王家の墓の発掘作業中の出来事でした。
カーターの記録はオックスフォード大グリフィス研究所に保管されています。
ツタンカーメン王は、わずか9歳で王位に就き、紀元前1332〜1323年頃までの9年間、第18王朝ファラオとして古代エジプトを統治しました。
両親が兄妹だったとされる近親婚のせいか、脊椎側弯症や口蓋裂、内反足などの健康被害に悩まされていたと言われています。
王の死因は殺人説もありますが、現在はマラリア、あるいは戦車の事故で足を骨折し、それが原因の感染症で亡くなったと考えられています。
ヨーク大学のジョアン・フレッチャー教授は、次のように述べています。
【このマスクは成人男性のファラオのために作られたものではない。
顔部分の金は、他の部分の金とは全く異なるものであり、はんだ付けの跡が明らかだ(フレッチャー教授)】
更にマスクの耳たぶ部分にイヤリングの穴が空いていることも、このマスクがもともとツタンカーメンのものとして作られたものでない証拠になるという話です。
古代エジプト文化では、イヤリングをつけるのは高位の女性か子どもだけだったからです。
ツタンカーメンは9歳で即位したため、その当時はイヤリングをしていた可能性は高いですが、成長してからはイヤリングは外していたはずだと…。
亡くなった19歳前後の時点では着用していなかったと考えるのが自然で、それではなぜ、マスクの耳たぶにイヤリングの穴があるのでしょう?
これが有名なツタンカーメンの黄金マスク、メッチャ耳に穴開いてますね(笑)
では、なぜ王に君臨したツタンカーメンのマスクが、彼自身のためにあつらえたのものではなかったのか…。
フレッチャー教授によると、王が19歳という若さで突然亡くなったため、埋葬の準備、つまりマスクが間に合わなかったのではないかという事らしいです。
ですから、すでにできあがっていた他人のマスクを代替に使ったというわけです。
権力闘争が埋葬を急がせた可能性もあるかもしれません。
墓室内の壁の塗料に垂れた跡があり、塗装がまだ完全に乾いていない状態で墓が封印されたという説ももっともらしく聞こえますね。
では、このマスクは、一体誰のマスクだったのでしょう?
これは、ツタンカーメン王の継母ネフェルティティのものだった可能性があるんだそうです。
彼女の死の具体的な日付はわかっておらず、墓もまだ見つかっていませんが、かなり信憑性がありそうだと…。
ネフェルティティは、ツタンカーメンの父であるファラオ、アクエンアテンとのちに結婚し、共にエジプトを統治しました。
夫の死後からツタンカーメンが王位に就くまでの短期間、彼女がファラオとして統治していたかどうかは議論があります。
マスクのひげの素材が違うのも、もともと女性用に作られたマスクに後から取りつけたからではないかという説もあるそうです。
マスクのイヤリングの穴は、長い間見過ごされてきた盲点でした。
ツタンカーメン王のマスクには、まだまだ謎が隠されていそうで謎が解き明かされるまで、まだ研究が必要そうです。
にしても、イヤリングの穴を見落とすとかあるかねぇ(笑)
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
12月17日の火曜日でございます。
今日は「明治ブルガリアヨーグルトの日」なんだそうです。
では元気にネタいきましょう。
古代エジプトのファラオ、ツタンカーメン王の黄金のマスクはあまりにも有名ですよね。
その高さは54cm。貴石のモザイクが精巧にはめ込こまれていて重さ2.5kgのあごひげがついています。
ところが今回、前から噂になっていた、この仮面は王のために作られたものではなかったとの見解を裏付ける証拠が発見されたそうなんです。
英ヨーク大学の研究は、これまで見逃されていた手がかりを発見したそうなんです。
それはマスクにあったイヤリング用の穴なんだとか…。
エジプト学者のハワード・カーターによって、このマスクが初めて発見されたのは1925年のことで、1922年に見つかったルクソール近郊の王家の墓の発掘作業中の出来事でした。
カーターの記録はオックスフォード大グリフィス研究所に保管されています。
ツタンカーメン王は、わずか9歳で王位に就き、紀元前1332〜1323年頃までの9年間、第18王朝ファラオとして古代エジプトを統治しました。
両親が兄妹だったとされる近親婚のせいか、脊椎側弯症や口蓋裂、内反足などの健康被害に悩まされていたと言われています。
王の死因は殺人説もありますが、現在はマラリア、あるいは戦車の事故で足を骨折し、それが原因の感染症で亡くなったと考えられています。
ヨーク大学のジョアン・フレッチャー教授は、次のように述べています。
【このマスクは成人男性のファラオのために作られたものではない。
顔部分の金は、他の部分の金とは全く異なるものであり、はんだ付けの跡が明らかだ(フレッチャー教授)】
更にマスクの耳たぶ部分にイヤリングの穴が空いていることも、このマスクがもともとツタンカーメンのものとして作られたものでない証拠になるという話です。
古代エジプト文化では、イヤリングをつけるのは高位の女性か子どもだけだったからです。
ツタンカーメンは9歳で即位したため、その当時はイヤリングをしていた可能性は高いですが、成長してからはイヤリングは外していたはずだと…。
亡くなった19歳前後の時点では着用していなかったと考えるのが自然で、それではなぜ、マスクの耳たぶにイヤリングの穴があるのでしょう?
これが有名なツタンカーメンの黄金マスク、メッチャ耳に穴開いてますね(笑)
では、なぜ王に君臨したツタンカーメンのマスクが、彼自身のためにあつらえたのものではなかったのか…。
フレッチャー教授によると、王が19歳という若さで突然亡くなったため、埋葬の準備、つまりマスクが間に合わなかったのではないかという事らしいです。
ですから、すでにできあがっていた他人のマスクを代替に使ったというわけです。
権力闘争が埋葬を急がせた可能性もあるかもしれません。
墓室内の壁の塗料に垂れた跡があり、塗装がまだ完全に乾いていない状態で墓が封印されたという説ももっともらしく聞こえますね。
では、このマスクは、一体誰のマスクだったのでしょう?
これは、ツタンカーメン王の継母ネフェルティティのものだった可能性があるんだそうです。
彼女の死の具体的な日付はわかっておらず、墓もまだ見つかっていませんが、かなり信憑性がありそうだと…。
ネフェルティティは、ツタンカーメンの父であるファラオ、アクエンアテンとのちに結婚し、共にエジプトを統治しました。
夫の死後からツタンカーメンが王位に就くまでの短期間、彼女がファラオとして統治していたかどうかは議論があります。
マスクのひげの素材が違うのも、もともと女性用に作られたマスクに後から取りつけたからではないかという説もあるそうです。
マスクのイヤリングの穴は、長い間見過ごされてきた盲点でした。
ツタンカーメン王のマスクには、まだまだ謎が隠されていそうで謎が解き明かされるまで、まだ研究が必要そうです。
にしても、イヤリングの穴を見落とすとかあるかねぇ(笑)
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院