弘泉堂ブログ
弘泉堂鍼灸接骨院
その痛み…治せます!
ブログ
2024年10月31日 [色々なこと]

メッセージボトル

お疲れ様です。院長です。

10月31日の木曜日でございます。

今日は世界都市デーなんだそうです。

では元気にネタいきましょう。

フランスにある、古代ヨーロッパケルト人(ガリア人)居住地域の発掘作業を行っていた学生グループが、土中に埋められていた壺の中からガラス瓶を発見しました。

瓶の中には非常に保存状態の良いメモが入っていたそうで、このメモを書いたのは、19世紀の考古学者、P.J.フェレ氏だと判明しました。

彼のメッセージは、200年の時を超えた未来の考古学者へ託された、タイムカプセルだったわけです。

2024年9月16日、フランス・ノルマンディーの海岸沿いにあるディエップという町の近くで、学生のボランティアグループが遺跡の発掘を行っていました。

この日、学生たちは掘り進むうちに、土器の壺に入ったガラスの小瓶と2枚のコインを発見しました。

ここは、ガリア人(古代ローマ人にガリアと呼ばれたケルト人の一派)が居住していた地域で、今回発掘が行われていた遺跡は、ローマ帝政時代には属州だったとされるエリアにあり、「カエサルのキャンプ」とも呼ばれています。

発見された小さな瓶の中には、丸めてヒモで巻かれたメモが入っており、その保存状態は信じられないくらい良好でした。

メモを開いてみると、そこにはこのように書かれたメッセージが入っていました。

ディエップ出身で、さまざまな知的団体に所属するP.J.フェレは、1825年1月にここで発掘調査を行いました。

彼はシテ・ド・リムまたはカン・デ・セザール(カエサルのキャンプ)として知られるこの広大な地域で調査を続けています。

学生たちのグループを率いていた、地元の考古学サービスの責任者であるギョーム・ブロンデル氏は、このメッセージを見つけた瞬間を「まさに魔法のようだった」と表現しています。

過去にこの場所で発掘調査が行われていたことは知っていましたが、200年前のこんなメッセージを見つけるとは、まったくの驚きでした。

考古学の現場で、このようなものが見つかるのは非常に珍しいことです。

大工が家を建てる時に残したタイムカプセルは時々見かけられるそうですが、考古学では珍しいんだそうです。

たいていの考古学者は、自分たちがすべての仕事をやり尽くしたのだから、後から誰かがやってくることはないだろうと考えたがるんだとか…。

P.J.フェレことピエール・ジャック・フェレは、確かにこの遺跡で最初に発掘調査を行った人物であり、地元の名士でもあったらしいことが分かっています。

町の公式記録もそれを裏付けているそうです。

今回のブロンデル氏たちによる発掘調査は、遺跡の海に面した崖の部分が浸食されたため、緊急で行われたものでした。

すでに遺跡のかなりの部分が浸食により消失してしまっていましたが、かつてはこのガリアの村から、直接海へアクセスできるようになっていたらしいです。

「シテ・ド・リム」という名称は、既に14世紀には墓石や文書などに登場していたと言われていますが、現在では「カン・デ・セザール(カエサルのキャンプ)」という呼び方が一般的になっているとのことでした。

今回は発掘開始から約1週間で、ガリア時代の遺物(主に2,000年前の陶器の破片)などが発見されたらしいです。

フェレはもうここから出土するものは何もないと思っていたのでしょうか。

それとも将来の考古学者に、自分の見つけられなかった発見を託そうとしたのでしょうか…。

ここがガリア人の村であることはわかっていますが、村の中で何が起こっていたのかは知る由もありません。

ここは重要な場所だったのでしょうか…。

遺跡はこの2,000年間で、約5ヘクタールが海に侵食されて失われたとされています。

一度消えてしまった遺跡は、二度と元には戻りません。

今回のような自然による浸食も、開発という名の人間による破壊も、二度と取り戻せないという結果に関しては同じです。

ちなみにこの遺跡からは古代ローマのコインも出土しているようですが、フェレの瓶といっしょに置かれていたコインは、どうやらルイ16世時代のフランス革命期のコインではないかとのことで、今後の詳しい鑑定が待たれています。

貴重な古代の遺物が失われてしまう前に、少しでも記録にとどめたいと、ブロンデル氏と学生たちは、今後も発掘を続ける予定だそうです。 





京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院


  • Facebook
  • Twitter
  • はてなブックマーク

PageTop