2024年10月30日 [色々なこと]
ベネチアと中国
お疲れ様です。院長です。
10月30日の水曜日でございます。
今日は香りの記念日だそうです。
では元気にネタいきましょう
なんでも、ベネチアの象徴、「翼をもつ獅子」は中国製であることが像の青銅合金分析で明らかになったんだとか…。
イタリアの都市、ベネチアのサンマルコ広場には、柱の上に立つ有名な「翼をもつ獅子」の像があります。
現在、ベネチアの獅子とも呼ばれるこの像は、もともとはキリストの弟子の一人であり福音書の著者とされる、聖マルコを表す像として設置されものだそうです。
ところが、青銅合金製のこの像が、実は中国が起源である可能性が明らかになったんですよ。
最近行われた像に使用されている青銅の同位体分析から、像のかなりの部分が8世紀の中国で作られたものであることがわかったそうです。
さらにデザインにも調査が及び、中国にあった別の姿の青銅像が、ベネチアに運ばれたのち、聖マルコを表す「翼をもつ獅子」の標準的な姿に合うよう、ほかのパーツとつなぎ合わされたりして作り直された可能性まで浮上しているそうです。
ベネチアの翼のある獅子像は、4つの福音書の著者の1人である聖マルコを表現したものです。
聖マルコが翼のある獅子である理由は、新約聖書の『マルコによる福音書』の著者で、『新約聖書』の最後に配された聖典「ヨハネの黙示録」に、聖マルコが「翼のある獅子(有翼の獅子)」として描かれたためです。
「ヨハネの黙示録」はキリスト教徒が迫害を受けていたとき、迫害を逃れるためにキリスト教徒以外にはわからない表現として、聖マルコ=翼をもつ獅子として描きました。
9世紀、ベネチアの商人がアレクサンドリアにあった聖マルコの聖遺物をベネチアに持ち帰ったことに始まります。
それ以来、この街の守護聖人は聖マルコとされ、聖マルコを表す「翼をもつ獅子」もまたベネチアを象徴するものとなりました。
ヴェネツィア市の紋章の1つには、ブルーを背に、翼を持つ金色に輝く獅子が横たわり、前脚の間に福音書を抱えているものがあります。
その本にはラテン語で「マルコよ、私の伝道者よ、平和があらんことを」と書かれています。
聖マルコを守護者として選んだ町にも祝福が及ぶということです。
イタリア、パドヴァ大学の地質学、化学、考古学、美術史など多分野にわたる研究チームが、この翼を持つ獅子の像に使われている青銅合金の詳細な分析を行ないました。
その結果、この青銅が東方起源であり、シルクロード沿いの交易に関係していることが明らかになったそうなんです。
この発見は、今年の9月11日に発表されました。
この日はマルコ・ポーロの死後700年を記念する国際会議の開会式でした。
1980年代の調査では、この像はヘレニズム時代初期(紀元前4世紀)にアナトリアで作られたと考えられていました。
しかし青銅合金に含まれる鉛同位体の分析によって、この金属の起源が中国南東部、揚子江下流域の鉱山であることがわかったわけなんです。
また、獅子のデザイン的な面から再調査してみると、頭部、たてがみ、胸部に唐王朝時代(618〜907年)の彫刻の特徴を見ることができました。
こうしたことから、この獅子像はもともと唐の時代に鋳造された「墓守」または「地霊」である鎮墓獣だったものを精巧に作り直したものである可能性が高いことがわかったそうです。
中国の鎮墓獣は一般的に2体が墓のそばに置かれ、1体は人間のような顔、もう1体は獅子など獣のような顔をしていたんだそうです。
聖マルコの獅子像と中国の鎮墓獣に共通する特徴は、両脇に上向きのひげがついた幅広の鼻腔、上顎に大きな犬歯、下顎に小さな犬歯のある大きく開いた口、突出した眼窩などです。
この発見によって、中国からどのようにしてその像がベネチアへやってくることになったのだろうかという疑問がわいてきます。
1295年、マルコ・ポーロが旅から戻ったときにはすでにベネチアの柱の上にあったこの像は、おそらくバラバラの状態でこの町に運ばれてきたのではないかと推測されています。
その経緯はマルコの父ニコロと叔父マフィオの旅と関係があるのではないかとも言われています。
彼らは1264年から1266年にかけて北京のモンゴル宮廷を訪れています。
このことが関係あるのか無いのか、今の段階ではわかっていませんが、今後この像の移動についてさらなる発見があるかもしれません。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
10月30日の水曜日でございます。
今日は香りの記念日だそうです。
では元気にネタいきましょう
なんでも、ベネチアの象徴、「翼をもつ獅子」は中国製であることが像の青銅合金分析で明らかになったんだとか…。
イタリアの都市、ベネチアのサンマルコ広場には、柱の上に立つ有名な「翼をもつ獅子」の像があります。
現在、ベネチアの獅子とも呼ばれるこの像は、もともとはキリストの弟子の一人であり福音書の著者とされる、聖マルコを表す像として設置されものだそうです。
ところが、青銅合金製のこの像が、実は中国が起源である可能性が明らかになったんですよ。
最近行われた像に使用されている青銅の同位体分析から、像のかなりの部分が8世紀の中国で作られたものであることがわかったそうです。
さらにデザインにも調査が及び、中国にあった別の姿の青銅像が、ベネチアに運ばれたのち、聖マルコを表す「翼をもつ獅子」の標準的な姿に合うよう、ほかのパーツとつなぎ合わされたりして作り直された可能性まで浮上しているそうです。
ベネチアの翼のある獅子像は、4つの福音書の著者の1人である聖マルコを表現したものです。
聖マルコが翼のある獅子である理由は、新約聖書の『マルコによる福音書』の著者で、『新約聖書』の最後に配された聖典「ヨハネの黙示録」に、聖マルコが「翼のある獅子(有翼の獅子)」として描かれたためです。
「ヨハネの黙示録」はキリスト教徒が迫害を受けていたとき、迫害を逃れるためにキリスト教徒以外にはわからない表現として、聖マルコ=翼をもつ獅子として描きました。
9世紀、ベネチアの商人がアレクサンドリアにあった聖マルコの聖遺物をベネチアに持ち帰ったことに始まります。
それ以来、この街の守護聖人は聖マルコとされ、聖マルコを表す「翼をもつ獅子」もまたベネチアを象徴するものとなりました。
ヴェネツィア市の紋章の1つには、ブルーを背に、翼を持つ金色に輝く獅子が横たわり、前脚の間に福音書を抱えているものがあります。
その本にはラテン語で「マルコよ、私の伝道者よ、平和があらんことを」と書かれています。
聖マルコを守護者として選んだ町にも祝福が及ぶということです。
イタリア、パドヴァ大学の地質学、化学、考古学、美術史など多分野にわたる研究チームが、この翼を持つ獅子の像に使われている青銅合金の詳細な分析を行ないました。
その結果、この青銅が東方起源であり、シルクロード沿いの交易に関係していることが明らかになったそうなんです。
この発見は、今年の9月11日に発表されました。
この日はマルコ・ポーロの死後700年を記念する国際会議の開会式でした。
1980年代の調査では、この像はヘレニズム時代初期(紀元前4世紀)にアナトリアで作られたと考えられていました。
しかし青銅合金に含まれる鉛同位体の分析によって、この金属の起源が中国南東部、揚子江下流域の鉱山であることがわかったわけなんです。
また、獅子のデザイン的な面から再調査してみると、頭部、たてがみ、胸部に唐王朝時代(618〜907年)の彫刻の特徴を見ることができました。
こうしたことから、この獅子像はもともと唐の時代に鋳造された「墓守」または「地霊」である鎮墓獣だったものを精巧に作り直したものである可能性が高いことがわかったそうです。
中国の鎮墓獣は一般的に2体が墓のそばに置かれ、1体は人間のような顔、もう1体は獅子など獣のような顔をしていたんだそうです。
聖マルコの獅子像と中国の鎮墓獣に共通する特徴は、両脇に上向きのひげがついた幅広の鼻腔、上顎に大きな犬歯、下顎に小さな犬歯のある大きく開いた口、突出した眼窩などです。
この発見によって、中国からどのようにしてその像がベネチアへやってくることになったのだろうかという疑問がわいてきます。
1295年、マルコ・ポーロが旅から戻ったときにはすでにベネチアの柱の上にあったこの像は、おそらくバラバラの状態でこの町に運ばれてきたのではないかと推測されています。
その経緯はマルコの父ニコロと叔父マフィオの旅と関係があるのではないかとも言われています。
彼らは1264年から1266年にかけて北京のモンゴル宮廷を訪れています。
このことが関係あるのか無いのか、今の段階ではわかっていませんが、今後この像の移動についてさらなる発見があるかもしれません。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院