2024年07月18日 [色々なこと]
古代マヤの生贄
お疲れ様です。院長です。
7月18日の木曜日でございます。
7月もここまでくると夏感ハンパないですな。
これからさらに暑くなるかと思うとゾッとしますな(笑)
では今日も元気にネタいきましょう。
なんでも、古代マヤで生贄となった犠牲者のDNA分析したところ、全員が男の子で、その多くが近親者であることが判明したんだそうです。
メキシコ、ユカタン半島で栄えた古代マヤ文明の都市チチェン・イツァでは、セノーテ(天然の井戸)や、寺院、洞窟などから何百という人骨が発掘されており、人身御供が習慣的に行われていたことがわかります。
犠牲になったのは豊穣を象徴する女性、あるいは少女が多かったという考えが長らく定着していましたが、最新の研究によると、どうやらそれは誤解だったらしいんです。
生贄の犠牲者と思われる64人分の遺骨をDNA分析したところ、骨はすべて3歳から6歳の男の子のもので、多くは近親者だったということがわかったそうなんです。
人間を神への生贄(いけにえ)とする人身御供は世界各地で古くからおこなわれていました。
それは古代マヤ文明でも例外ではなく、豊穣や成功を祈願するための重要な行事とされていました。
そしてその多くは若い女性や少女だと考えられていたわけです。
実際にアクトゥン・チュニチル・ムクナル洞窟内部では少女の遺骨が発見されています。
ドイツ、マックスプランク進化人類学研究所の考古遺伝学者ロドリゴ・バルケラ氏率いる研究チームは、新たな技術を用い、かつて発見された遺骨を調べてみることにしました。
すると驚きの事実が明らかになったわけです。
1967年、チュルトゥンのセノーテ(陥没穴に地下水が溜まった天然の井戸や湖)につながる地下洞窟から100体あまりの遺骨が発見されています。
今回の研究では、そのうち64体からDNAを抽出してその配列を分析しました。
放射性炭素年代測定から、洞窟は500年間使用されていたことがわかりましたが、調べた遺骨の大半は、チチェン・イツァがこの地域でもっとも権力をふるっていた西暦800年から1000年の間にそこに安置されたようでした。
DNA分析から全員が3歳から6歳の地元のマヤ族の少年で、少なくとも4分の1は兄弟、いとこなどの近親関係があり、双子も2組いたそうです。
骨に含まれる炭素、窒素の変異体や同位体の分析からも、血縁関係にある子どもたちが同じような食事をとっていたことが判明しました。
この研究を率いた研究著者の、ドイツ、マックスプランク進化人類学研究所の考古遺伝学者ロドリゴ・バルケラ氏は語っています。
伝統的なメソアメリカ考古学では豊穣を祈願する生贄は通常女性だと思われていたため、これまでの説にとらわれて、遺骨はほとんど女性だと思い込んでいました。
驚いたのは、見つかった遺骨の何人かの間には血縁関係があり、しかも双子が2組もいたことでした(ロドリゴ・バルケラ氏)
骨を分析するだけでは子どもの性別を判断するのは難しいとされています。
男女どちらなのかは骨盤の骨などから判断するさけですが、男女の決定的な違いが現れるのは思春期になってからなので、幼い子どもの骨の場合は困難なんですね。
そこで遺伝子分析が大いに役立つわけですが、ヨーロッパや高緯度地域では革命的なDNA分析技術も、熱帯地域では必ずしもそうではありません。
高い気温でDNAが劣化しやすくなってしまうからで、とはいえ、最近のDNA分析技術はかなり進歩しています。
非常に少量のDNAでも回収できるなど技術は日々向上していて、大規模なゲノム研究を行って、古代DNAをメソアメリカの豊かな過去を理解するためのツールとして活用できるようになりました。
各自が持っている遺伝子はひとつだけなので、サンプリングが重複していないことは確かで、そのおかげで一卵性双生児を特定することができた。
双子が生贄にされた理由は、マヤには双子の英雄の伝説があり、古代マヤの紀元物語と精神生活において双子が特別な意味をもっていたからではないかと推測されます。
古代マヤでは子どもを殺して生贄にするのは、特別な儀式に参加できる名誉なことだったのではないかと考えられるそうなんです。
研究チームは、この古代のDNAを現代のマヤのコミュニティであるティクスカカルトゥユブの住民68人のDNAと比較してみました。
その結果、両者は近い遺伝子特性を共有していることがわかったそうです。
また、植民地化されるとき、ヨーロッパ人がもたらした病気の影響によって当時の住民の免疫システムがどのように形成されたかもわかったそうです。
1545年に壊滅的な影響を及ぼしたココリツトリ伝染病の病原体とされるサルモネラ菌から身を守る遺伝子変異を現代の住民が持っていることが発見されたんです。
これは、植民地時代のパンデミックを生き延びた人々が、特定の病気に耐えられるように遺伝的に適応し、後に将来の世代に広く普及する遺伝子を継承した可能性があることを示しているそうです。
時代が違うからという一言で片づけたらそれまでですが、今、我々が当たり前に行ってることも、数万年後にはあり得ない習慣となってるかもしれませんもんね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
7月18日の木曜日でございます。
7月もここまでくると夏感ハンパないですな。
これからさらに暑くなるかと思うとゾッとしますな(笑)
では今日も元気にネタいきましょう。
なんでも、古代マヤで生贄となった犠牲者のDNA分析したところ、全員が男の子で、その多くが近親者であることが判明したんだそうです。
メキシコ、ユカタン半島で栄えた古代マヤ文明の都市チチェン・イツァでは、セノーテ(天然の井戸)や、寺院、洞窟などから何百という人骨が発掘されており、人身御供が習慣的に行われていたことがわかります。
犠牲になったのは豊穣を象徴する女性、あるいは少女が多かったという考えが長らく定着していましたが、最新の研究によると、どうやらそれは誤解だったらしいんです。
生贄の犠牲者と思われる64人分の遺骨をDNA分析したところ、骨はすべて3歳から6歳の男の子のもので、多くは近親者だったということがわかったそうなんです。
人間を神への生贄(いけにえ)とする人身御供は世界各地で古くからおこなわれていました。
それは古代マヤ文明でも例外ではなく、豊穣や成功を祈願するための重要な行事とされていました。
そしてその多くは若い女性や少女だと考えられていたわけです。
実際にアクトゥン・チュニチル・ムクナル洞窟内部では少女の遺骨が発見されています。
ドイツ、マックスプランク進化人類学研究所の考古遺伝学者ロドリゴ・バルケラ氏率いる研究チームは、新たな技術を用い、かつて発見された遺骨を調べてみることにしました。
すると驚きの事実が明らかになったわけです。
1967年、チュルトゥンのセノーテ(陥没穴に地下水が溜まった天然の井戸や湖)につながる地下洞窟から100体あまりの遺骨が発見されています。
今回の研究では、そのうち64体からDNAを抽出してその配列を分析しました。
放射性炭素年代測定から、洞窟は500年間使用されていたことがわかりましたが、調べた遺骨の大半は、チチェン・イツァがこの地域でもっとも権力をふるっていた西暦800年から1000年の間にそこに安置されたようでした。
DNA分析から全員が3歳から6歳の地元のマヤ族の少年で、少なくとも4分の1は兄弟、いとこなどの近親関係があり、双子も2組いたそうです。
骨に含まれる炭素、窒素の変異体や同位体の分析からも、血縁関係にある子どもたちが同じような食事をとっていたことが判明しました。
この研究を率いた研究著者の、ドイツ、マックスプランク進化人類学研究所の考古遺伝学者ロドリゴ・バルケラ氏は語っています。
伝統的なメソアメリカ考古学では豊穣を祈願する生贄は通常女性だと思われていたため、これまでの説にとらわれて、遺骨はほとんど女性だと思い込んでいました。
驚いたのは、見つかった遺骨の何人かの間には血縁関係があり、しかも双子が2組もいたことでした(ロドリゴ・バルケラ氏)
骨を分析するだけでは子どもの性別を判断するのは難しいとされています。
男女どちらなのかは骨盤の骨などから判断するさけですが、男女の決定的な違いが現れるのは思春期になってからなので、幼い子どもの骨の場合は困難なんですね。
そこで遺伝子分析が大いに役立つわけですが、ヨーロッパや高緯度地域では革命的なDNA分析技術も、熱帯地域では必ずしもそうではありません。
高い気温でDNAが劣化しやすくなってしまうからで、とはいえ、最近のDNA分析技術はかなり進歩しています。
非常に少量のDNAでも回収できるなど技術は日々向上していて、大規模なゲノム研究を行って、古代DNAをメソアメリカの豊かな過去を理解するためのツールとして活用できるようになりました。
各自が持っている遺伝子はひとつだけなので、サンプリングが重複していないことは確かで、そのおかげで一卵性双生児を特定することができた。
双子が生贄にされた理由は、マヤには双子の英雄の伝説があり、古代マヤの紀元物語と精神生活において双子が特別な意味をもっていたからではないかと推測されます。
古代マヤでは子どもを殺して生贄にするのは、特別な儀式に参加できる名誉なことだったのではないかと考えられるそうなんです。
研究チームは、この古代のDNAを現代のマヤのコミュニティであるティクスカカルトゥユブの住民68人のDNAと比較してみました。
その結果、両者は近い遺伝子特性を共有していることがわかったそうです。
また、植民地化されるとき、ヨーロッパ人がもたらした病気の影響によって当時の住民の免疫システムがどのように形成されたかもわかったそうです。
1545年に壊滅的な影響を及ぼしたココリツトリ伝染病の病原体とされるサルモネラ菌から身を守る遺伝子変異を現代の住民が持っていることが発見されたんです。
これは、植民地時代のパンデミックを生き延びた人々が、特定の病気に耐えられるように遺伝的に適応し、後に将来の世代に広く普及する遺伝子を継承した可能性があることを示しているそうです。
時代が違うからという一言で片づけたらそれまでですが、今、我々が当たり前に行ってることも、数万年後にはあり得ない習慣となってるかもしれませんもんね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院