2024年07月08日 [からだのこと]
インターネットと道徳性
お疲れ様です。院長です。
7月8日の月曜日でございます。
ボチボチ梅雨明けがどうのという時期ですが、今年はどうでしょうか。
なんかこのまま梅雨明けってことはないでしょうけど、雨降らないねぇ…。
では元気にネタいきましょう。
なんでも、インターネットが人間の道徳性に及ぼす影響が、最新の脳科学研究で明らかになったんだそうです。
絶え間なく新たな情報にさらされ、顔も名前も素性も知らない人に対して匿名で意見を言い合うことができるインターネットでは、人の道徳やモラルといったものは簡単に歪められてしまいます。
最新の脳科研究では、インターネットが人間の道徳に与える影響を調査しました。
その結果、もともと小さなグループで対面で進化してきた私たちの道徳心が、インターネットから流れてくる大量の情報に晒されることで薄れていることがわかったそうです。
何の責任も負わず手軽に正義感を発揮し、過剰なまでに人を罰する公的非難や、被害者に極端な感情移入をする共感疲労などが起きているようです。
インターネットは世界中の誰とでも気軽につながれるのが魅力の一つです。
今やそのユーザーは50億人以上も存在します。
一方、私たち人類の道徳やモラルといったものは、もっと小さなグループの中で、人と人が向き合う対面方式で進化してきました。
それゆえに、思いやりや違反者を罰したい衝動といった反応が、インターネットという圧倒的に大規模なグループの中では日常とはまた違う現れ方をすると、ニューヨーク大学をはじめとする研究チームは主張しています。
インターネットを覗き込めば、世界各地のニュースや個人などが発信する情報によって、休むことなくモラルが刺激されることになります。
研究チームによれば、こうした過剰にモラルを刺激する環境のせいで、「共感疲れ」「過激な批判」「いい人アピール」「非効率的な集団行動」の4つが引き起こされるのだそうです。
これをインターネットによる4つの歪みというそうです。
共感疲れ
誰かを思いやることに疲れてしまうことです。
そもそも他人に共感するというのは、脳の認知機能的にはかなり負荷の高い作業なんです。
インターネットでは、共感を求めるような情報が四六時中発信されているので、それによって認知機能に過剰な負荷がかかり、誰かを思いやることに疲れてしまうようです。
公での批判
ネットではちょっとした悪事や間違いでも、まるで鬼の首を取ったかのように批判が寄せられます。
よく見かける炎上は、それが極端に現れたケースといえるでしょう。
悪事を働いた者を罰したいという気持ちは誰にでもあります。
こうした心理は、集団生活を送るための進化的適応だと考えられています。
ところが、ネットではその他者を罰するという行為があまりにも簡単に、しかも匿名で何の責任も取らず容易にできてしまいます。
ですからネットユーザーはちょっとした悪事を見つけると、その甘い衝動に身を委ねてしまうわけなんです。
いい人アピール
こうした他者を批判する行為は、自分がどれだけ正義感があり、道徳的な人間であるかをアピールする行為でもあります。
このアピールは「いいね!」や「シェア」をするといった手間もお金もほとんどかからない方法で行われることもあります。
残念なことに、どれほどアピールしたところで、それが実際に人を助けることはほとんどありません。
非効率的な集団行動
オンラインでは比較的簡単に人を集め、組織化することができます。
それゆえに大規模な社会運動につながることもありますが、それは根が浅く持続力のない、刹那的なものになりがちです。
研究チームは、インターネットをこうした歪みが生じにくい場にするために、個人や社会に悪影響を及ぼすことなく、注目や関心を持続させることができるプラットフォーム設計の研究を呼びかけています。
その一方で、モラルや道徳観が低下しているという論調は、思い込みにすぎず、過去を美化するための幻想だと主張する専門家もいます。
道徳観というのは、子供の頃から実際に人と人が関係を持つ中で培われていくものでもあるわけで、本当に道徳観のある人なら、人の嫌がるようなことはしないでしょうし、例え匿名であっても、画面の向こうには人がいることを意識しているでしょうから、もともとモラルや道徳性があまりなかった人が顕在化している可能性もあるのかもしれませんね。
まぁ、わたくし院長もそう思います。
本当の意味の人とのつながりって、やはり数にも限りがありますし、環境によっても違うでしょうけど、その人生の中で一定数の「道徳心が欠けてるなコイツ」って知り合いはいるでしょう。
その少ない割合が、ネットという莫大な数にされされることで、集中してるだけのことですから、ネット世代うんぬんって事でもない気がしますけどね。
いつの時代も、道徳観、倫理観のヤバい人っていますから…。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
7月8日の月曜日でございます。
ボチボチ梅雨明けがどうのという時期ですが、今年はどうでしょうか。
なんかこのまま梅雨明けってことはないでしょうけど、雨降らないねぇ…。
では元気にネタいきましょう。
なんでも、インターネットが人間の道徳性に及ぼす影響が、最新の脳科学研究で明らかになったんだそうです。
絶え間なく新たな情報にさらされ、顔も名前も素性も知らない人に対して匿名で意見を言い合うことができるインターネットでは、人の道徳やモラルといったものは簡単に歪められてしまいます。
最新の脳科研究では、インターネットが人間の道徳に与える影響を調査しました。
その結果、もともと小さなグループで対面で進化してきた私たちの道徳心が、インターネットから流れてくる大量の情報に晒されることで薄れていることがわかったそうです。
何の責任も負わず手軽に正義感を発揮し、過剰なまでに人を罰する公的非難や、被害者に極端な感情移入をする共感疲労などが起きているようです。
インターネットは世界中の誰とでも気軽につながれるのが魅力の一つです。
今やそのユーザーは50億人以上も存在します。
一方、私たち人類の道徳やモラルといったものは、もっと小さなグループの中で、人と人が向き合う対面方式で進化してきました。
それゆえに、思いやりや違反者を罰したい衝動といった反応が、インターネットという圧倒的に大規模なグループの中では日常とはまた違う現れ方をすると、ニューヨーク大学をはじめとする研究チームは主張しています。
インターネットを覗き込めば、世界各地のニュースや個人などが発信する情報によって、休むことなくモラルが刺激されることになります。
研究チームによれば、こうした過剰にモラルを刺激する環境のせいで、「共感疲れ」「過激な批判」「いい人アピール」「非効率的な集団行動」の4つが引き起こされるのだそうです。
これをインターネットによる4つの歪みというそうです。
共感疲れ
誰かを思いやることに疲れてしまうことです。
そもそも他人に共感するというのは、脳の認知機能的にはかなり負荷の高い作業なんです。
インターネットでは、共感を求めるような情報が四六時中発信されているので、それによって認知機能に過剰な負荷がかかり、誰かを思いやることに疲れてしまうようです。
公での批判
ネットではちょっとした悪事や間違いでも、まるで鬼の首を取ったかのように批判が寄せられます。
よく見かける炎上は、それが極端に現れたケースといえるでしょう。
悪事を働いた者を罰したいという気持ちは誰にでもあります。
こうした心理は、集団生活を送るための進化的適応だと考えられています。
ところが、ネットではその他者を罰するという行為があまりにも簡単に、しかも匿名で何の責任も取らず容易にできてしまいます。
ですからネットユーザーはちょっとした悪事を見つけると、その甘い衝動に身を委ねてしまうわけなんです。
いい人アピール
こうした他者を批判する行為は、自分がどれだけ正義感があり、道徳的な人間であるかをアピールする行為でもあります。
このアピールは「いいね!」や「シェア」をするといった手間もお金もほとんどかからない方法で行われることもあります。
残念なことに、どれほどアピールしたところで、それが実際に人を助けることはほとんどありません。
非効率的な集団行動
オンラインでは比較的簡単に人を集め、組織化することができます。
それゆえに大規模な社会運動につながることもありますが、それは根が浅く持続力のない、刹那的なものになりがちです。
研究チームは、インターネットをこうした歪みが生じにくい場にするために、個人や社会に悪影響を及ぼすことなく、注目や関心を持続させることができるプラットフォーム設計の研究を呼びかけています。
その一方で、モラルや道徳観が低下しているという論調は、思い込みにすぎず、過去を美化するための幻想だと主張する専門家もいます。
道徳観というのは、子供の頃から実際に人と人が関係を持つ中で培われていくものでもあるわけで、本当に道徳観のある人なら、人の嫌がるようなことはしないでしょうし、例え匿名であっても、画面の向こうには人がいることを意識しているでしょうから、もともとモラルや道徳性があまりなかった人が顕在化している可能性もあるのかもしれませんね。
まぁ、わたくし院長もそう思います。
本当の意味の人とのつながりって、やはり数にも限りがありますし、環境によっても違うでしょうけど、その人生の中で一定数の「道徳心が欠けてるなコイツ」って知り合いはいるでしょう。
その少ない割合が、ネットという莫大な数にされされることで、集中してるだけのことですから、ネット世代うんぬんって事でもない気がしますけどね。
いつの時代も、道徳観、倫理観のヤバい人っていますから…。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院