2022年07月18日 [からだのこと]
アファンタジア
お疲れ様です。院長です。
7月18日の月曜日でございます。
祇園祭、山鉾巡行も終わり、本来ならいよいよ夏が来るなぁって時期ですが、今年はとっくに夏が始まっておりました。
今年の夏は長いんでしょうなぁ…。
では今日のネタですが、今日はちょっと変わった「アファンタジア」という症状のお話しでもしてみようかと思います。
「アファンタジア」とは奇妙な症状で、例えば今いる部屋の作りを脳内で思い出してみてください。
家具やインテリア、窓、カーテンの色や形状のイメージがある程度描けるはずです。
ところが、アファンタジアの症状を持つ人は、頭の中で視覚的なイメージを思い浮かべることができないんです。
これまで、この症状は本人が言うまで周りの人には分かりませんでした。
しかし最新の研究では、アファンタジアの症状を持つ人の特徴が明らかとなったそうなんです。
ある形状を想像した時の瞳孔の変化で、アファンタジアを客観的に診断することができるという話しです。
「目は口ほどにもの言う」ということわざがありますが、最新の方法も目の瞳孔の拡張反応に基づいて診断します。
瞳孔は明るいところでは小さく縮み、暗いところでは大きく開きます。
これは、網膜に入る光の量を調整するためなんですが、これ以外にも認知作業を行うことで大きさが変化することが知られています。
そこでオーストラリアの研究グループは、アファンタジアの人(18名)とそうでない人(42名)に対して、明るい形と暗い形の画像を見てもらうという実験を行ないました。
直接見た時にはどちらの人でも、画像の明るさに関わらず瞳孔の拡張反応が認められました。
ところが今度は目を開いたまま、同じ画像を「思い浮かべる」よう指示されました。
すると、アファンタジアの人たちの瞳孔は全く変化しなかったのだそうです。
研究グループによれば、頭の中で視覚的なイメージを思い浮かべられる人ならば、瞳はそれに反応するのだそうです。
それが鮮やかで強烈であるほど、大きく変化するんだとか…。
ところが、アファンタジアの人はこうした瞳孔反応が生じないらしいんです。
瞳孔の反応は本人の意思とは関係なしに起きるものです。
特に光のようなまぶしいものを思い浮かべれば勝手に瞳孔は拡張します。
ですから、この方法ならば、自己申告に頼らないアファンタジアの客観的な診断法になると考えられるというわけです。
「客観的な生理学的試験までもう少しです。血液検査のように、症状があればそれを確認できるようになります」と、シドニー大学の生理学者ジョエル・ピアソン氏は語っています。
またイメージを鮮明に思い浮かべられる人ほど、瞳孔の変化は大きくなるそうなんです。
これもまた、視覚的イメージを思い浮かべる力を測定する手がかりになるそうです。
ですが、この研究において一番興味を引かれるのは、そもそもなぜ頭の中で想像するだけで瞳孔が反応するのか? という点です。
ピアソン氏らは、視覚イメージと認知をつなぐトップダウン式メカニズムが関係しているのではと推測しています。
おそらく脳内の視覚情報を処理する領域は、実際の視覚情報とまったく同じように想像上の視覚情報をも処理しているのだろうと…。
ですから何かを明るいものを思い浮かべれば、実際に網膜が光を受けた時と同じように瞳孔が反応するようなんですね。
今回の研究でも、何かを鮮明にイメージできる人ほど、実際に光を受けた時のような反応をすることが確認されていますが、上記のように考えれば辻褄が合うっちゃ合いますよね。
ところで、アファンタジアの人は本当にイメージを思い浮かべようとしていたのでしょうか?
そう指示されても、想像しようとしなかった(あるいはできない)可能性だってあります。
この研究では、その点についても確かめています。
実験参加者に、同時に4つの形を想像するよう指示してみたそうなんです。
なぜなら、難しい認知作業であるほど、瞳孔が開くことが知られているからです。
もちろん同時に4つの形を想像するのは、1つだけよりも難しいわけです。
そしてアファンタジアの人たちは、4つ同時に想像した場合は瞳孔が拡大していたそうなんです。
つまり少なくとも頭の中で何かを思い浮かべようと努力はしていたということになります。
視覚的イメージを想像する能力は、それ以外の重要な脳機能をも助けています。
たとえば、記憶を取り出す時にイメージが使われますし、学習した文字や記号を思い浮かべる時、訪れたことのある場所を思い出したり、移動したりする時もそうです。
そうしたことができないアファンタジアの人は、まったく違う心象世界で生きていると言えるかもしれません。
このことは、私たちが世界を認識するための神経学的な働きが、想像以上に多様であることを浮き彫りにしています。
まぁ、生まれた時からその感覚がないのなら、問題なく過ごせたのかもしれませんが、なかなか不便でしょうねぇ…。
わたくし院長も、この症状の事は知りませんでしたし、まだまだ人体には不思議な事があるもんですね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
7月18日の月曜日でございます。
祇園祭、山鉾巡行も終わり、本来ならいよいよ夏が来るなぁって時期ですが、今年はとっくに夏が始まっておりました。
今年の夏は長いんでしょうなぁ…。
では今日のネタですが、今日はちょっと変わった「アファンタジア」という症状のお話しでもしてみようかと思います。
「アファンタジア」とは奇妙な症状で、例えば今いる部屋の作りを脳内で思い出してみてください。
家具やインテリア、窓、カーテンの色や形状のイメージがある程度描けるはずです。
ところが、アファンタジアの症状を持つ人は、頭の中で視覚的なイメージを思い浮かべることができないんです。
これまで、この症状は本人が言うまで周りの人には分かりませんでした。
しかし最新の研究では、アファンタジアの症状を持つ人の特徴が明らかとなったそうなんです。
ある形状を想像した時の瞳孔の変化で、アファンタジアを客観的に診断することができるという話しです。
「目は口ほどにもの言う」ということわざがありますが、最新の方法も目の瞳孔の拡張反応に基づいて診断します。
瞳孔は明るいところでは小さく縮み、暗いところでは大きく開きます。
これは、網膜に入る光の量を調整するためなんですが、これ以外にも認知作業を行うことで大きさが変化することが知られています。
そこでオーストラリアの研究グループは、アファンタジアの人(18名)とそうでない人(42名)に対して、明るい形と暗い形の画像を見てもらうという実験を行ないました。
直接見た時にはどちらの人でも、画像の明るさに関わらず瞳孔の拡張反応が認められました。
ところが今度は目を開いたまま、同じ画像を「思い浮かべる」よう指示されました。
すると、アファンタジアの人たちの瞳孔は全く変化しなかったのだそうです。
研究グループによれば、頭の中で視覚的なイメージを思い浮かべられる人ならば、瞳はそれに反応するのだそうです。
それが鮮やかで強烈であるほど、大きく変化するんだとか…。
ところが、アファンタジアの人はこうした瞳孔反応が生じないらしいんです。
瞳孔の反応は本人の意思とは関係なしに起きるものです。
特に光のようなまぶしいものを思い浮かべれば勝手に瞳孔は拡張します。
ですから、この方法ならば、自己申告に頼らないアファンタジアの客観的な診断法になると考えられるというわけです。
「客観的な生理学的試験までもう少しです。血液検査のように、症状があればそれを確認できるようになります」と、シドニー大学の生理学者ジョエル・ピアソン氏は語っています。
またイメージを鮮明に思い浮かべられる人ほど、瞳孔の変化は大きくなるそうなんです。
これもまた、視覚的イメージを思い浮かべる力を測定する手がかりになるそうです。
ですが、この研究において一番興味を引かれるのは、そもそもなぜ頭の中で想像するだけで瞳孔が反応するのか? という点です。
ピアソン氏らは、視覚イメージと認知をつなぐトップダウン式メカニズムが関係しているのではと推測しています。
おそらく脳内の視覚情報を処理する領域は、実際の視覚情報とまったく同じように想像上の視覚情報をも処理しているのだろうと…。
ですから何かを明るいものを思い浮かべれば、実際に網膜が光を受けた時と同じように瞳孔が反応するようなんですね。
今回の研究でも、何かを鮮明にイメージできる人ほど、実際に光を受けた時のような反応をすることが確認されていますが、上記のように考えれば辻褄が合うっちゃ合いますよね。
ところで、アファンタジアの人は本当にイメージを思い浮かべようとしていたのでしょうか?
そう指示されても、想像しようとしなかった(あるいはできない)可能性だってあります。
この研究では、その点についても確かめています。
実験参加者に、同時に4つの形を想像するよう指示してみたそうなんです。
なぜなら、難しい認知作業であるほど、瞳孔が開くことが知られているからです。
もちろん同時に4つの形を想像するのは、1つだけよりも難しいわけです。
そしてアファンタジアの人たちは、4つ同時に想像した場合は瞳孔が拡大していたそうなんです。
つまり少なくとも頭の中で何かを思い浮かべようと努力はしていたということになります。
視覚的イメージを想像する能力は、それ以外の重要な脳機能をも助けています。
たとえば、記憶を取り出す時にイメージが使われますし、学習した文字や記号を思い浮かべる時、訪れたことのある場所を思い出したり、移動したりする時もそうです。
そうしたことができないアファンタジアの人は、まったく違う心象世界で生きていると言えるかもしれません。
このことは、私たちが世界を認識するための神経学的な働きが、想像以上に多様であることを浮き彫りにしています。
まぁ、生まれた時からその感覚がないのなら、問題なく過ごせたのかもしれませんが、なかなか不便でしょうねぇ…。
わたくし院長も、この症状の事は知りませんでしたし、まだまだ人体には不思議な事があるもんですね。
ではまた〜。
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院